「学び合い」の成立条件って何?それはね「在り方」だよ。 それはね「その人」だよ。 それはね「信念」だよ。 それはね「魂」だよ…。 「そんな抽象的なことばっかりいってないでもっとしっかりと言語化しなさい!」っということで決まった今回の学び合いフォ…
実践を発表する場をいただいた。 こういう場で一番学びをもらえるのは自分自身。強くそう感じた。 課題もたくさん見つかったが、得られたものはそれ以上だった。伝えても伝えきれないことがある。 何を伝え、何を削ぎ落とすか? 思考を再度「整理」する必要…
「公教育」って何? 最近心に湧き上がる大きな疑問。 どこにいっても同じなんてあるわけない。 なのに「公教育」という言葉は異質なものを排除するのに振りかざされるんだな。「公教育」以外の選択を認めず異質なものを排除し続ける。 その先にあるものは?…
今日は一日教員免許更新講習。一日中席に座り、ひたすら講義を聴く。 いつもは教える立場。今日は逆に教わる立場。 教わる立場になるといろいとなことが見えてくる。 子どもたちが何を思い、感じながら授業を受けているのかが浮かび上がってくる。 講義を聴…
夏休みに初任者の方にお話をする機会をいただいた。 うれしい反面、責任重大。 まだまだ未熟な自分が若い先生方に伝えられることって何なんだろう? そんなことを考え始める。若い教師が成長していくために必要不可欠なことは何か? そう問われたらどう答え…
なんか違うな。 何かな?この違和感。 最近感じていた違和感の原因が明らかになった。 最近感じていた違和感の原因。 それは2つ。 ?全体ではなく、部分に目を向けていたこと。 ?話す(放つ)ことばかりで語る(形づくる)ことができていなかったこと。 この…
「できない」から「やらない」のか? 「やらない」から「できない」のか? 金曜日教育人間塾に参加して、頭にぐるぐると回ったこと。 「子どもに寄り添う」 「カウンセリングマインドをもって…」 これは確かに口にも耳にも優しい言葉だよね。 確かに教育の根…
石川さんと大野さんの講座に参加させてもらった。 講座の中で大野さんの学級のビデオの様子を拝見する。 子どもたちが学び合う場面。 すてきだったな。 勉強ができるってことは当たり前じゃない。 1時間1時間が大切な学びの時間なんだと子どもたちが感じて…
「アルジャーノンに花束を」 めったにドラマを見ない自分だが、妻が隣で見ていたので、一緒に見ていた。 その中である人が涙ながらに語ったセリフ。 その言葉が胸をついた。「そんな時、俺は所詮自分がニセモノだってことに気づく。ニセモノの俺じゃあお前た…
「スタートを切った数。それがかしこさにつながっていくんだよ」 昨日の算数の時間。子どもたちにそんなことを話した。 私たちの日常にはたくさんのスタートラインがある。 かしこい子ほど、スタートをきるのが上手だ。 Aくん。勉強は得意ではない。しかし、…
「一番大切なものまで削ぎ落としてはいないか?」 最近、そんな違和感を抱えながら毎日を過ごしている。 教師にしかできないこと。それはすべてを受容することではない。 「あなたにはこれが必要。だからやりなさい」 と子どもたちに本当に大切なものを提示…
夜寝る前の出来事。 「一冊だけ絵本を読んであげるよ。なんでもいいからもっておいでね。」 息子がもってきたのは「おさるのジョージ」 そして娘がもってきたのはなんと「道徳の教科書」 昨日娘は道徳の教科書を持ち帰ってきたのだ。娘に聞いた。 「いいよ。…
「先生、まねぶしてきてもいいですか?」 授業中子どもたちは、この言葉を当たり前のように言うようになった。 4月から伝え続けてきたこと。 「学ぶ」ことは「まねぶ」こと。 すべてはまねをすることから始まる。一般的に「まねをする」という行為を子ども…
自分の意志で「選択」すること。これが成長するためには必要不可欠である。 何も考えず、のんべんだらりと生きていくか、自分の意志で一歩を踏み出していくか。 それによって広がる光景は変わっていく。人は「選択」した数だけ成長していく。 最近そんなこと…
「ふつうのおはしはぼくにはむずかしいよ。」 そんなことを言っていた4歳の息子。最近おはしを使えるようになった。指使いも美しく。なんなく食べ物をひょいひょいとつかむ。はしをもつ指の形も美しい。 幼い時から彼が使っていたのは「エジソンのお箸」 お…
「あきらめること」は「明らかにみる」こと。 自分の置かれている状況、自分の向かうべき道を「はっきりと見据える」こと。 教育の真髄は子どもたちにいかに「あきらめさせる」かだ。「あきらめられない(明らかに見れない」子は自分で決めたがる。 自分の好…
「自由」というものは単独で存在するものではない。 「不自由」がなくなった状態を「自由」とよんでいるだけ。 「不自由」な状況があるからこそ「自由」が生まれる。 「不自由」と「自由」は表裏一体。 お互いに存在を補完している。 「主体性」というものも…
「あなたたちを伸ばしたい」 教師のこの思いが子どもたちに伝わった時、学びは加速し始める。 どんなに拙い言葉でもいい。 本気でそれを伝え続けることで子どもたちの目は変わり始める。 言葉・態度・姿勢・実践…。 ありとあらゆる所から「伸ばす!」という…
昨日から胸を揺さぶり続けている言葉がある。 それは 「きれいごと」 という言葉。 昨日ある方々と話をしていて話題となった言葉だ。 なぜこんなに自分の胸を揺さぶり、自分の足を止め、様々なことを考えさせるのか? 何度も何度も考えていて、その答えが見…
「強制」よりも「自主性」 「競争」よりも「協同」 そう考えていた時期がありました。 でも最近は躊躇することなく「強制」もするし「競争」もさせます。 それは 「強制」と「自主性」 「競争」と「協同」 が相反するものではなく、つながりがあるものだと理…
新年度。 まず担任として自分がやることは何か? それは子どもたちの固定観念を引きはがすこと。 「自分はこれが苦手だ」 「今まではこうだった」 「あいつはああいうやつだ」 「自分はこんなもんだ」…。 子どもたちの心に根を張った固定観念を引きはがす。 …
誤解がある表現かもしれませんが。 教育とは洗脳です。 教師という一人の人間の考えを価値付け子どもたちに語るのですから。 だからこそ子どもたちの前に立つ限り自分自身の言葉に責任をもちたい。そう考えています。 子どもたちは教師の言葉だけではなく、…
「◯◯のために◯◯が必要なんだ」 数年前まで自分はこんな言葉を振りかざし続けていたと思う。 しかし最近はこういう言葉をあまる使わなくなったように感じる。 わざわざ力を入れずに語らなくても、伝えることができるようになってきたのかもしれない。「◯◯のた…
札幌に来て3年。 いよいよ今の学校に別れを告げる時がきました。すてきな子どもたち、保護者のみなさん、同僚に支えられた3年間だったなぁ。 担任した子どもたちはどの学級の子もすてきでした。まっすぐで一生懸命。 優しくて、芯がある。この3年間、迷い…
札幌に来たのは3年前。 その年私は6年生担任だった。 卒業する彼らと共に札幌という新天地へ来た3年前。 その時の卒業生も高校受験を経て、いよいよ高校生へ。彼らが一歩一歩大人へと近づいていく姿を見ていて、うれしくなる。 昨日はその時の卒業生が札…
自分と世界の距離を広げていくこと。 これが「成長する」ということなのだと感じている。幼い子どもたちは「自分」と「世界」の距離が短い。 「自分」=「世界」なのだ。 「自分」がいやならばいや。 大切なのは「自分がどう思うか?」なのだ。 自分の中に自…
坂内さんの記事を受けて自分なりに考えたこと。 「先生。◯◯くんがね…」 このように人のやっていることをいちいち教師に告げ口にくる子はどのクラスにもいるものだ。 このような子が来たとき、それを「チャンス」と捉えられるか否かで、クラスの成長度は変わ…
「批判的思考」 このように聞くと相手を批判することに重きを置く人がいる。しかしそれは批判的思考の入り口。だれもが通り抜ける始めの段階なのだ。しかし、その入り口に留まることなく、さらに深めていくためにはどうすればいいのか?それを考えている。「…
最近考えること。 それは「子どもたちと、私たち大人では身につけるべき能力が違う」ということ。 何となく気づいていたが、体感としてストンと落ちたのはここ最近のことだ。当然のことながら子どもたちは生きてきた経験が短い。だからこそ未来に思い煩わさ…
昨日は村山紀昭さんの主宰する教育人間塾で発表しました。 発表したテーマは「学び続ける子どもの育成」 ここ数年積み上げてきたことを自分なりに整理するよいきっかけをいただきました。 教育人間塾は教師以外にも様々な方々が参加する場です。 多様性があ…