違和感

「一番大切なものまで削ぎ落としてはいないか?」
最近、そんな違和感を抱えながら毎日を過ごしている。
教師にしかできないこと。それはすべてを受容することではない。
「あなたにはこれが必要。だからやりなさい」
と子どもたちに本当に大切なものを提示し、向き合わせることも大切。

「厳しさ」の中に「優しさ」が存在している。
二つの両輪があってこそ、子どもたちに届く。
最近感じる違和感。
自分の中の「優しさ」が「厳しさ」にくわれてはいないか?ということ。

あせっているのか?
急いでいるのか?

大切なのことは「きっとできるようになるよ。だからやり続けていこう」という言葉。
しかし、最近の自分はよちより歩きの子どもに「走れ」と言っている感じ。
それは単なる「厳しさ」。「優しさ」なんかじゃない。

どこかで歯止めをかけようとする。
しかし、「厳しさ」は「優しさ」に食いついて放さない。
「優しさ」を育んでいくのは長い時間がかかる。
でも、それを崩れるのはほんの一瞬なんだ。

「優しさ」に内包される「厳しさ」なのか。
「厳しさ」に内包される「優しさ」なのか。
そのどちらかで全く質は異なるものとなる。

一つ一つ丁寧に。
もう一度、「優しさ」が包み込む「厳しさ」を求めよう。
そんなことを考える。
週の終わり。良い一日にしよう。