すべてが一本に

今日は一日教員免許更新講習。一日中席に座り、ひたすら講義を聴く。
いつもは教える立場。今日は逆に教わる立場。
教わる立場になるといろいとなことが見えてくる。
子どもたちが何を思い、感じながら授業を受けているのかが浮かび上がってくる。


講義を聴きながらいろいろなことを考える。普段はこんな風に落ち着いて思考する時間はほとんどない。日々、目の前のことに追われ、気づくと一日が終わっている。自分の実践、これから歩む道のりを考えるよい機会だった。


「誰かに発表してもらおうかな?」
教授が言う。
他の参加者の方が指名される。
その参加者の方の意見を聴く。
しかし、その意見は自分の頭の中を通り過ぎていく。


そのときに感じた疑問。
「人の意見を自分ごととして捉えるためにはどうすればいいんだろう。」


せっかくの全体交流。
人の意見を聴く絶好の機会なのに、自分が指名されなかったとたん、安堵を覚えいつの間にか他人ごととなる。
そんな経験は誰しもあるはずだ。


「学びの主人公」となった分だけ人は成長する。いかに「自分ごと」として物事を捉える場面を確保するか?それは子どもたちを成長させる上で大きな課題となってくる。


学び合いの場面では活発に意見交流がなされ、参加者が「学びの主人公」とbなっていた。しかし、誰かが指名されて、その意見を聴く場になったとたん「他人ごと」となり学びが停滞してしまう。そんな場面はないだろうか?
自分の中ではこれがずっと課題となっていた。


しかし、今回の講義を受けたことでそれを解消する方法にふと気づく。
なぜ「他人ごと」となるのか?
それは聞いていても聞いていなくてもわからないから。
「聴く」ということを評価することができないから。
それを明確に評価できるようにすればいい。ただそれだけ。


一気につながる。
これで2学期の授業は大きく変わることになる。
すべての場面で子どもたちを育て抜くことができる。
すべてが一つの線につながった。


一斉授業。
学び合い。
ホワイトボードミーティング。
ファシリテーショングラフィック。
そしてインタラクティブカリキュラム。
それらをすべて一つに「融合」することが可能かもしれない。
道筋は見えた。あとは辿るだけ。