2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「発達段階に応じた教育を」 こんな言葉をよく聞く。 ところで「発達段階に応じた教育」って何? 一年生はここまで学べる。 二年生はここまで学べる。 そんなものが存在するわけがない。 子ども達の脳の発達が平等であるわけがない。 それぞれの子どもに応じ…
「自分に壁をつくらない。」 口では簡単に言える。 しかしこれは非常に難しいことだ。 どんなにつらくても自分を開き続けるのはつらい。 「必要ない」と切り捨てている学問から学ぶ価値を見出さねばならないのもつらい。 人間関係においても、学びにおいても…
教師に必要なこととは? 「心に目的をもつこと」 「信頼される人であること」 「安心できるあたたかさがあること」 「まっすぐに想いを語れること」 「学び続けられる環境を整えられること」 自分の未熟さから大きな勘違いをしていた。 いらないものを削ぎ落…
よくクラスの子ども達に話をする。 素晴らしいクラスの条件とは何か? 素晴らしいクラスとは「トラブルが起きないクラス」ではない。 素晴らしいクラスとそうでないクラスの差は? それは 「トラブルが起きた時にそれを乗り越えていけるか否か?」である。 …
教育の真髄は「信じる」こと。 必ず伸びる。 必ず気づく。 必ず届く。 それを信じ続けられるか否か? 一つずつ素晴らしい部分を見つけていく。 それしかない。 子ども達の素晴らしい部分が見えずにいくら語っても子どもの心には響かない。 まだまだだ。 信念…
教育において「徐々に削ぎ落とすべきもの」と「決して削いではいけないもの」がある。 削いではいけないものをいかにして自分の心の核として保ち続けるか? それが難しい。 大切なものを削ぎ落とすとクラスは一瞬にしてガタガタになる。 1年半ほど前。痛い…
『学び合い』 始めるのは簡単なこと。 子ども達が自分の意思で人に繋がることが認められるのだから。 立ち歩きが悪という世界から、立ち歩きが奨励される世界へと変わるのだから。 はじめは子ども達の目は輝いているように見える。 ずっとつまらない顔をして…
「自分はこうなりたい。」「自分はこう在りたい。」 これを自然に語れるって実はすごいことだと思う。 これは一朝一夕には身につくものではない。 ありとあらゆる手を尽くして子ども達に語り続けるしかない。 土を耕すように。自分自身がそれを楽しみながら…
「先生、それまだ習ってません」 その言葉を発する子は、その子自身が学びの主人公になれていない証拠。 学びは与えられるものではない。 習っていないからこそ自ら学ぶ。 それを当たり前にする。 知識は与えられるものではない。 自ら掴み取るものだ。 その…
「全員ができる」「全員が説明できる」 数年前までこの言葉を使い続けていた。 しかし今は「全員が」という言葉はほとんど使わない。 この言葉は1年間語り続けるにはきつすぎる言葉である。 「全員ができる」に連戦連勝はない。 「国語」でも「算数」でも「…