先生、それまだ習ってません。

「先生、それまだ習ってません」
その言葉を発する子は、その子自身が学びの主人公になれていない証拠。


学びは与えられるものではない。
習っていないからこそ自ら学ぶ。
それを当たり前にする。


知識は与えられるものではない。
自ら掴み取るものだ。
その感覚をつかませるために何度も何度も語り続けなければならない。


子ども達の意欲に蓋をしない。
やりたいならどこまでもやればいい。
意欲のあるものはどこまでも突き進めばいい。
その子ども達がクラスを引っ張って行く。


口を開けていればエサを投げ込んでくれる。
そんな教育でいいわけがない。
与えられることに慣れてしまった子ども達が未来の何を創り出せるというのか?


習ったから学ぶのか?
習っていないから学ぶ必要がないのか?
そもそもなんのために学んでいるのか?


「学びの在り方」を語り続ける。
学びの主人公は常に自分自身。