失敗から得るパーツ

教育において「徐々に削ぎ落とすべきもの」と「決して削いではいけないもの」がある。
削いではいけないものをいかにして自分の心の核として保ち続けるか?
それが難しい。


大切なものを削ぎ落とすとクラスは一瞬にしてガタガタになる。
1年半ほど前。痛い失敗をした。
子ども達の自主性を伸ばすという考えのもと、私が削ぎ落としたもの。
それは「語り」だった。
何が良い学びで、何が悪い学びなのか?
その指針を失ったクラスは一瞬で崩れ始めた。
「学び合いはいやだ。」と。


クラスにほころびが表れた時、人は初めて気づく。
「あぁ。これは削いではいけないものだったのだ」と。
それに気づければ次の手が見えてくる。
「目的」を語ることなくして子ども達の成長はない。



しかし、心が凍りついている子ども達に語る言葉は宙を舞う。
宙に舞う言葉を刻みつけるために必要なもの。
それは「信頼」「安心感」だ。


「信頼」は自然に生まれるものではない。
いくら「目的」を語っても「信頼」は生まれない。
どんなに強く自分を貫いていても「信頼」は生まれない。


「この先生は自分を成長させてくれそうだ。」
「一緒にいると楽しい。」
「信じてみようかな?」


自分という存在が信頼されて、初めて自分の言葉が子ども達の心に沁みこむ。
「信頼」「安心感」は削ぎ落としてはいけない。



子ども達は成長をしている。
薄皮をはがすように少しずつ。
学びの本質に近づいている。
ここからが勝負だ。
焦らない。怒らない。


見えないから焦る。
見えないから怒りが込み上げる。


ではどうする?
見えるようにすればいい。
見ようとすればいい。


削ぎ落としてはいけないものを削ぎ落としてはいないか?
子ども達ではなく、己に目を向けられるか?
自分の甘さに気づいた時。
そこがスタートライン。
何度も子ども達に語り続けてきた言葉ではないか。
自分も同じだ。