始めるのは簡単

『学び合い』
始めるのは簡単なこと。
子ども達が自分の意思で人に繋がることが認められるのだから。
立ち歩きが悪という世界から、立ち歩きが奨励される世界へと変わるのだから。


はじめは子ども達の目は輝いているように見える。
ずっとつまらない顔をして沈黙していた子が話し始める。
積極的に学び合っている(ように見える)姿に感動さえ覚えるかもしれない。


しかし、それは真の「学び合い」なのか?
おしゃべりではなく、学習に向かわせなければならない。
そのために『学び合い』では「全員」という課題を設定する。


確かに子ども達(の一部)は動き始めるだろう。
しかし、毎時間「全員」に縛られていたら苦しくなってくる。


かといって「全員」という言葉をはずす。
するととたんにおしゃべりが増え、学びの質が落ち始める。


「全員」を使わないと学習に関係ないおしゃべりが蔓延する。
かといって「全員」を使い続けることも苦しい。
このジレンマに苦しんでいる人は多いのではないだろうか?


『学び合い』は始めるのは簡単。
しかし、一番難しいのは「持続させること」なのだ。
どのようにしたら子ども達の学びを持続させていけるのか?
「学び合う」から「学び続ける」へ。
どのように高めていけるのか?
それを模索せずにいたらどうなる。
『学び合い』は一つの手段として時代の流れの中に消えていくだろう。



tontanさん達と共に、それを追い続けて来た。
彼らは『学び合い』の奥にあるものを見つめている。