大きな勘違い

教師に必要なこととは?


「心に目的をもつこと」
「信頼される人であること」
「安心できるあたたかさがあること」
「まっすぐに想いを語れること」
「学び続けられる環境を整えられること」


自分の未熟さから大きな勘違いをしていた。
いらないものを削ぎ落とすことは必要。
しかし、削ぎ落とすことにばかりに目を向けて、子ども達に目を向けないと学びがぐらつき始める。
削いではいけないものを見極められるか?



最終的には「目的」以外削ぎ落とされるのかもしれない。
しかし、初めから「目的」のみで学びが成立するわけがない。




子ども達は教師の言動をじっと見つめている。
「この人は何を伝えようとしているのか?」
「この人は信頼できる人なのか?」
「この人のもとなら楽しく学べそうか?」


初めから「目的」のみを押し付けてはいけない。
どんなに高尚な「目的」をもっていても、子ども達と教師の間に「信頼」「安心」が通い合っていなければ、教師の言葉は子ども達の心には届かない。
子ども達の心に寄り添い、信頼関係を築けるか?



安心できるあたたかさ…。
そこで勘違いしてはいけないこと。
それは「あたたかさ」と「甘さ」は違うこと。
「あたたかさ」は信頼を築き上げるが「甘さは」信頼を突き崩す。


「あたたかさ」を「甘さ」にしない。
そのために必要なものが「目的」だ。
自分が子ども達と共に創りあげる最終地点を常に思い描いていれば「甘さ」にはならない。
「目的」を明確にすれば「あたたかさ」の中にある「厳しさ」が見えてくる。



教えるべきことはきちんと教える。
叱るべきことはきちんと叱る。
認めるべきことはきちんと認め、成長を共に喜ぶ。
「あたたかく」あることと「厳しく」あることは決して矛盾しない。


「これくらいできるだろう」
「なぜこんなこともできないんだ?」
学級結成当初はそんな風に感じるもの。
しかし、その考えは負のスパイラル。
子ども達は一人一人違う。
「きちんと教えるべきことは教える」そんな当たり前のことを見失っていた。



「教育とはざるで水を飲むようなもの」
昨日そんな言葉をある方からいただいた。。
確かにその通りだ。
そんなに簡単に成果が表れるわけがない。
だからこそ語り続ける。言葉でも背中でも。