成長の可視化

「◯◯のために◯◯が必要なんだ」
数年前まで自分はこんな言葉を振りかざし続けていたと思う。
しかし最近はこういう言葉をあまる使わなくなったように感じる。
わざわざ力を入れずに語らなくても、伝えることができるようになってきたのかもしれない。

「◯◯のために◯◯が大切」
この言葉は物事のスタートラインとしては大切だろう。
しかし、時間の経過にしたがって子どもたちが「やっぱりその通りだな」と納得できるか、「う〜ん。本当に大切なのかな?」と半信半疑になるかで結果はちがってくる。

「やっぱりその通りだな」
人がそのようい感じるために必要なもの。それは「成長を感じる機会」だ。それが多ければ多いほど、子どもたちの心にそれをやることの大切さがストンと落ちてくる。

自分が少しずつ成長していること。
その成長が積み重なり、成長し続けていること。
それを実感することが出来た時、人は自分も、それを支えてくれた相手も肯定できるようになるのだ。自己肯定感というものは始めから目に見えるものではない。目に見えるようになるから肯定できるようになるのだ。

「自分はここまで伸びた」
「これのおかげでこれができるようになった」
「自分の強みはこれだ」

このように子どもたちが自分自身の成長を肯定的見つめられるようになること。
これができれば力を入れて語らずとも子どもたちはぐんぐん伸びていく。

大切なのは「何をやるか」ではなく「何を感じさせるか」 1年の終わり、小学校の終わり、人生の終わり…。 節目節目において、歩んできた道を肯定的に見つめられる人間を育てたい。 そんな人を育てたいから、自分がそんな人間になる。