やりたくないなら、でていきなさい

「あなたたちを伸ばしたい」
教師のこの思いが子どもたちに伝わった時、学びは加速し始める。
どんなに拙い言葉でもいい。
本気でそれを伝え続けることで子どもたちの目は変わり始める。


言葉・態度・姿勢・実践…。
ありとあらゆる所から「伸ばす!」という思いを伝えていく。
それなしに子どもたちがついてくるということはありえない。


「子どもが好き」
な教師ではなく
「子どもを伸ばすのが好き」
な教師でありたい。


「子どもが好き」
な教師は子どもが自分の意に添わない行動をした時にこう言い放つ。
「出来ないなら出て行きなさい」
「やりたくないなら出て行ってもいい」と。


「あなたたちを伸ばしたい」
どんなにそのように伝え続けても、子どもたちは「出て行きなさい」の一言で矛盾に気づく。


「絶対伸ばす」と語っている教師自身が、子どもたちを成長の機会を放り投げているということに。


「出て行きなさい」
どんなに悪いことをしたとしてもこの言葉を教師が放ってはいけないのではないか?


教師が放つべき言葉。
それは
「出て行くことは許さない。これに向き合うことが成長させるために大切なこと。最後まで一緒にやろう。」
という言葉。


「子どもが好き」は「子どもが嫌い」にひっくり返る。「好き」か「嫌い」の二項対立。
しかし「子どもを成長させるのが好き」はひっくり返ることがない。
「未熟」な部分があるからこそ「成長」が生まれる。未熟な部分を含めてすべてが大切なものとしてつながっている。


「出て行きなさい」
「やらなくていい」


私もこの言葉を放ちたくなる時がある。
しかし、グッとこの言葉を飲み込む。
自分のゴールは「子どもたちを成長させること」
この言葉によって子どもたちはそのゴールに近づくか?自問する。


「やりぬきなさい」
「向き合いなさい」

…このように言えるのは教師だけ。
何がなんでも一緒にやるぞ。
この覚悟なしに子どもたちは伸びないから。


「子どもが好き」なのか?
「子どもを成長させるのが好き」なのか?


それを自問しただけ前へ進める。
それを自問しただけ何かが積み上がっていく。


自分は「子どもを成長させるのが好き」という教師でありたい。
自戒を込めて。