「非難」から真の「批判」へ

「批判的思考」
このように聞くと相手を批判することに重きを置く人がいる。しかしそれは批判的思考の入り口。だれもが通り抜ける始めの段階なのだ。しかし、その入り口に留まることなく、さらに深めていくためにはどうすればいいのか?それを考えている。

「批判的思考」を「批判」で終わらず、「多角的に物事を吟味する思考」へ深めていくためには?
相手の粗ではなく、その思考に至る思考へも目を向けることが大切になってくる。

「すべての物事は善意から始まる」
この言葉は私がすでに肝に銘じている言葉だ。
幼い時は自分に合わないこと、理解できないことはすべて悪だと決めつけていた。
しかし、ぶつかり、相手の意見に耳を傾けていくうちに、相手には相手なりの正義が存在していることに気づく。

どのような取り組みにも、それに至るスタートラインは「善意」
どんな取り組みにも「さらに伸びたい伸ばしたい」という純粋な思いがかくれている。
理念レベルで物事を捉えれば、今まで私が出会った人たちはすべて「善」だった。

しかし、それを「行動」レベルで見ていくと、それは揺らぎ始める。方法があいまいだったり、ゴールが低かったり、ゴールとは反対に向かっていく方法だったり…。そこに自分と相手の「違い」が浮き彫りになっていく。

「すべての物事は善意から始まる」
そのように考えていくと、どの人の行動も「善」。
誰もが自分の中の「正義」のもとに行動しているのだ。
「正しい」「正しくない」
ではなく
「理解できる」「理解できない」
が「善」と「悪」に変化するのだ。

「批判」から「吟味」に深めていくために必要なこと。それは「相手のスタート地点が善意である」と認めること。それを認めたうえで、行動レベルのブレを指摘することだろう。始めから行動レベルに目を向けていくと、どうしても自分と違う部分のみに目が向き、相手を「非難」することに終始してしまう。

「二項対立を超える」
この言葉を自分の中ではっきりと言葉にできるようになったのは、ここ最近だ。
「すべては善意から始まる」
それがわかれば相手の戦う必要はなくなるのだ。

「批判」と「非難」は違う。
その行動のスタートに目を向け、相手を認めるところから「批判」は始まる。
その視点ができる人ほど、建設的に物事を捉えることができるのだ。