「自分」と「世界」との距離を広げていく

自分と世界の距離を広げていくこと。
これが「成長する」ということなのだと感じている。

幼い子どもたちは「自分」と「世界」の距離が短い。
「自分」=「世界」なのだ。
「自分」がいやならばいや。
大切なのは「自分がどう思うか?」なのだ。
自分の中に自分がはりついている状態。
だから世界を「自分の目」「自分の感じ方」を通じてしか見ることができないのだ。

確かに「自分」のものの見方、感じ方を大切にするということは大切だ。
しかし、それは複数の視点をもった上での話。
多角的に物事を捉える目をもった上で、あえて自分のものの見方、感じ方を大切にするということは確かに意味がある。


しかし、「自分」という視点でしか物事を見られない人がいくら自分のものの見方、考え方を大切にすると語っても、それは「自己中心的」なものの見方にしかならない。


「自分のものの見方、考え方を大切にする」ということを最終的に考えさせたい。
しかし、幼い子どもたちにそれを語ってもまったく意味がない。
なぜなら彼らは常に「自分のものの見方・考え方」を大切にしているから。大切にするというより、むしろそこから身動きせずにいるから。


そのように考えていくと、幼い子どもたちのために自分ができることが見えてくる。
私たちがすべきことは彼らの心にへばりついている「自分」を引きはがしていくこと。
「自分」というものに立ち戻らせるために、あえて自分以外の視点を語るのだ。

「自分」と「世界」の距離を広げる。
ここ数年子どもたちに語り続けてきて、その距離の取り方には3つの種類があると考える。
その3つとは


?心理的距離
?空間的距離
?時間的距離
である。


?心理的距離
これは「相手」と「自分」の感じ方がちがうということだ。
相手を傷つけることを平気で行った。しかし、相手の立場でものを考えていくとこれはすごくいやなことなのではないか? そのように考えられる状況をつくっていくこと。

「自分は楽しいからやってもいい」 このように「自分の楽しさ」にはりついている心をひきはがし、相手の立場から自分の行動を見る。 これによって子どもたちは「身近な誰かの視点」を通じて「自己」を見ていくことになるのだ。


?空間的距離
さきほどの心理的距離は身近な相手への他者意識をもつことだった。しかし、それを身近ではない相手。会ったこともない相手へと広げていくことが「成長すること」なのだと感じる。

大好きな人→クラス→学年→学校→地域→日本→世界→…

というように自分のつながりの範疇を超えてもなお、相手の立場から物事をとらえ、感じられるようになること。その距離が大きければ大きいほど多角的に物事を捉えることができるのだ。


?時間的距離
子どもたちは常に「今」を生きている。「今」ということを最大限に楽しみ、精一杯生きる。これを一旦引きはがし、未来や過去に目を向ける。
「過去の自分」から見た「今の自分」
「未来の自分」から見た「今の自分」

「ゴール思考」というのもこれに分類されるのかもしれない。

「今が楽しければいい」
ではなく
「どこに向かっていきたいのか?」
「何のためにやるのか?」
ということをひたすら考えさせる。
「今の自分」と言うものを飛び越えて、はるか遠くに存在する自分自身から「今の自分」を見つめるのだ。



私たち教師がすべきこと。
それは「子どもたち自身」と「世界」との距離をひたすら広げていくこと。
そして、広げ、広げ、広げ抜いた先に再度「自分の周りの世界」の大切さに立ち戻らせること。


ここ数年自分の存在理由を見失いかけていた。
生まれながらにして「自由」なこどもたちに自分は何を伝えられるのか?
自分の言葉によって子どもたちの「自由」を縛り付けることにならないか?と。

しかし、その迷いからようやく抜け出した。
引きはがし、距離をとった先に見えるものこそが真の「成長」なのだ。
これにはっきりと気づけたのはここ最近の話。
それがわかったことで言葉にブレがなくなった。

求めていいのだ。
温かく、しなやかにもっともっとと。
子どもたちの前に「壁」として立ちはだかっていいのだ。
「自分」と「世界」を引きはがしていく。
次年度すべきことが見えてきた。