「教育人間塾」で発表させていただきました

昨日は村山紀昭さんの主宰する教育人間塾で発表しました。
発表したテーマは「学び続ける子どもの育成」
ここ数年積み上げてきたことを自分なりに整理するよいきっかけをいただきました。


教育人間塾は教師以外にも様々な方々が参加する場です。
多様性があり、そのうえ温かい。
楽しく発表させていただきました。


今回の発表の柱は
「土壌を育てることで子どもは伸びていく」
ということ。

その土壌とは
?学び合える関係
?成長を感じられる場
?学び直せる(失敗が許される)場
これを日々の授業で無理なく淡々と体現していくか。


発表をさせていただき感じたことは
インタラクティブカリキュラムにはかなりの可能性が秘められている。
しかし、自分の実践がまだまだその入り口にしか達していないということだ。


質をいかに高めていくか?
その段階に来ていることを強く感じている。
インタラクティブカリキュラムのゴールは「書く」ことではない。
「考える」ということなのだ。
「書く」という壁を超えて「考える」というものへ昇華させていくには、まだまだ考え抜く時間が必要だ。


今回の発表で伝えたかったこと。
それは
「握る」ことができるから「放す」ことができる。
ということ。
「型」というものをしっかりと体に刻む。
村山さんとの会話の中では「道具を渡す」という言葉を引用されていたがそれと感覚は同じだろう。
その上で、徐々に握りしめた手を放していく。
それがかなり大切なのだ。
「放す」ために「握る」
ゴールに「放す」ことが見えているか否か。
これは子どもたちの成長に大きく関わってくる。
これは先ほど述べた、「考える」ということに直接つながってくるのだ。
「握られた状態」には自分の思考が入り込む余地は少ない。
しかし、「放たれた時」には「考える」ということが絶対的に必要なのだ。
そのときに、「型」が身に付いていれば、自分なりに考えながらすいすい進んでいく。
しかし、「型」がなければすぐに思考停止に陥るのだ。
「考える」ということを磨くのなら、「放す」ことが必要。
しかし、ただ「放す」だけではだめ。
このあいまいな感覚をもう少し形にしていきたいと感じた。


懇親会で村山さんと対話していて、もう少し深めていきたいと考えたこと。
それは
「わかる」から「できる」へ至る間には何が存在しているか?ということだ。
「わかった」から即「できる」とは考えられない。
その間には何かが存在している。
村山さんはその間に
「リフレクション」「メタ認知」というものが存在するのではないか?とおっしゃっていた。
では、その「メタ認知」をいかに生み出していけばいいのか?そんなことが頭を回転させた。
それがわかれば、子どもたちの学びの質をさらに高めていけそうな気がする。


人との対話は自分を一歩上へ押し上げてくれる。
そんなことを感じさせられる時間だった。

確かに大人の方が能力は高い。
しかし、吸収力は子どもの方が高い。
そんな言葉をいただき、はっとさせられた。
まさにその通り。
今年度担任させていただいた子どもたちもその言葉通り。
彼らの吸収力には到底かなわない。
その感覚をしっかり持ち続けたいなと再認識させられた。

頭を駆け巡るもやもやが次へと進むきっかけをくれそうな気がする。
すてきな発表の場をありがとうございました。