「強制」から「自主性」へ 「競争」から「協同」へ

「強制」よりも「自主性」
「競争」よりも「協同」


そう考えていた時期がありました。
でも最近は躊躇することなく「強制」もするし「競争」もさせます。
それは
「強制」と「自主性」
「競争」と「協同」
が相反するものではなく、つながりがあるものだと理解できるようになったおかげです。


課題を設定し、
「さあ、どうぞ」
という言葉一つで授業ができるというならば、教師としての役割はなんなのか?
そのへん歩いているおじさんを教室に連れてきて、「さあどうぞ」というのと何が違うのか?
教師であるあなたとそのおじさんの違いは何なのか?


4年前、私の授業を見てくださった芦田宏直さんに言われた言葉です。
あの頃の私は
「強制」<「自主性」
「競争」<「協同」
という考えに傾いていました。
そこから考え始めたこと。
それが
「教師にしかできないこと」
ということです。


坂内さんがずっと前におっしゃっていたこと。
それは
「教師にしかできないこと。それは本気で『勉強をしろ!』ということ」
この言葉は私の中でストンと落ちました。



「好きにしていいよ」
なんて学校に存在しないのです。
価値を語り、道を示し、共に歩み、最後に彼らに道をたくす。
その過程をふまずに「好きにしていい」ということは存在しない。


教師とは良くも悪くも「強制」し「競争」させる宿命にあるのだと思います。


しかし、大切なのはそれらを「強制」「競争」で終わらせないということ。
「強制」を「自主性」につなげ、
「競争」の中から「協同」を生み出していく。
その覚悟が大切なのでしょう。


今まで漠然としていたこの考えをはっきりと形に示してくれたのは高橋尚幸さんです。
多分彼は無意識だと思いますが。
彼は「強制」を「自主性」へと高めていく術を知っています。
自分が迷った時、困った時、ゆるぎなくそれを目指している人がそばにいること。
本当にありがたいなと感じます。


「強制」←→「自主性」
「競争」←→「協同」
これらはどちらかが大切なのではない。
大切のはこれらを往復しながら一歩ずつ上へと成長していくこと。


今年の子どもたちと過ごした4月。
たくさんのことを考えさせられました。