「思考」という暴れ馬を乗りこなす

多くの人にとって意味不明のメモになると思います。
しかし、これが私がこの夏に得たものです。
思考のメモとして。



「思考」はかなりやっかいなものだということに気づき始めている。
「思考は現実化する」というが、それは「思考」という暴れ馬を理解し、乗りこなせた時のことなのだ。


思考は決して止まることがない。常に動いている。
そして「思考」が新たな「思考」を呼ぶ。
放っておけば永遠にでも思考は流れ続ける。



しかし、流れる続けること自体は問題ではない。
「思考」は時に「恐れ」「不安」「嫉妬」「不満」も呼んでくる。
小さな小さなネガティブな感情は止めどなく流れる「思考」の中で雪だるまのように大きくなっていく。
どんなにポジティブに装っても、その感情は己を蝕み、胸をドス黒く染めていく。



「思考」が暴走し、ネガティブな思考が膨らんでいく時、どうすればいいのか?
必死でネガティブな思考の上からポジティブな思考をぬりたくっても所詮一時しのぎ。
メッキはすぐはがれていく。
ふとした瞬間にネガティブな思考は顔を出し、蝕み始める。




「思考」をいかに乗りこなすか?止めどなく流れる思考をいかに操るか?
その鍵は「思考」を止めることにある。




次から次へとやってくる「思考」をいったん断ち切る。思考を止める。
それができるようになれば、もっと楽に生きれる。
では「思考」断ち切るためにはどうすればよいのか?
「思考」の特性が理解できればその方法は見えてくる。




この世には過去も未来もない。
それらは人が便宜上創りだしたものさしに過ぎないのだ。
過去は過ぎ去った時間の記録、記憶でしかない。
未来はまだ見ぬものへの期待、不安、願望、恐れでしかない。
我々は常に現在を生きている。




「思考」の特性。
「思考」は過去と未来についてしか思考できないということ。
過ぎ去った過去に対して、「ああすればよかった」「あの時こうだったなら」と。
未来に対して「こう思われたらどうしよう」「こうなったらどうしよう」と。



しかし「思考」は現在、「いまここ」のことについて考えることはできない。
「いまここ」には思考が入り込む余地がないのだ。
それはそうだ。いまここには「過去に対する不安」も「未来に対する恐れ」も存在しない。
だって今自分は「いまここ」に存在しているのだから。



「思考」は現在「いまここ」について考えることはできない。
考えることができない代わりに「いまここ」でできること。
それは「感じる」ということ。



過去で「感じる」ことはできない。
未来で「感じる」ことはできない。
「感じる」ことは「いまここ」でしかできないのだ。
「思考」を止めるためにはこれを利用するのだ。



止めどなく流れる思考。
暴走する思考をいかに断ち切るか?その答えは簡単だ。
「過去」「未来」という思考の居場所を自分自身が離れればよいのだ。
「いまここ」に焦点を移した時、思考の暴走は止まる。
思考は「いまここ」には関与できない。




「今を生きろ」よく聞く言葉だ。この言葉の意味は奥深い。
今を生きることで恐れ、不安、怒り、絶望から分断されるのだ。
考えるな、感じろ。「思考」するな。「いまここ」を感じろ。
そうすれば思考の暴走は止まる。あっという間に。



では、いかにして「いまここ」を感じることができるのか?
それは「いまここに存在するものを徹底的に味わいつくすこと」だ。
自分が「いまここ」に確かに存在することを感じるのだ。
瞑想などにおいて「呼吸」が使われるのはそのためだ。
呼吸は「いまここ」に自分が存在している何よりの証拠なのだ。
心臓の鼓動を感じることも「いまここ」にいる自分の存在を感じることにつながる。本来やむはずのない「思考」をやりすごし、徹底的に永遠の「現在」を感じることができた時、それを「悟り」というのだろう。




私達はこのように思いがちである。
懸命に努力した先に「幸せ」は待っている。
願いが叶った後に「幸せ」になれる。と。
しかし、はたしてそうだろうか?




「幸せ」とは考えるもの?感じるもの?




このように問われたら答えは決まっている。
もちろん幸せは「感じるもの」だ。
先ほども述べたが、思考(考える)は「過去」「未来」に生きるもの。
ということは「過去」や「未来」に焦点を定めても「幸せ」にはなれない。
だって、「幸せ」は「感じる」ものだから。




「感じる」ことは「いまここ」でしかできない。
「幸せ」は「感じるもの」というのならば、幸せは「いまここ」にしかない。
ということ。「こうなったら幸せになれる」という考えはおかしい。
「幸せ」は「いまここ」にしかないのだから。
「過去」にも「未来」にも幸せなんかない。幸せが存在するのは「いまここ」だけ。]




私たちは「いま」の連続の中に生きている。過去も未来もない。
思考はしばしば私たちを存在しない過去や未来へと連れていく。
恐れや不安を増大させながら。
そして幸せが存在する「いまここ」から目をそらさせようとする。それに気づいた時、リセットをかけ、現在の幸せをかみしめられるか?



目の前にあるのに、見えない。
それが幸せなのだろう。
見えないものを見ようともがくなかで、本当の幸せは見えてくるのかもしれない。