幸福論

「わたしは子どもたちに『幸せ』を感じられるような人生を歩んでほしいんだ」
誰かと対話している時、そんな目的を語る人と何度か出会ったことがあります。



「素敵な目的ですね。」
と話しつつも、「幸せ」という言葉を目的に据えることができない自分自身に気づく。



それは
「幸せ」という言葉が自分にとって非常にあいまいなものだからだ。
何をもって「幸せ」と言えるのか?
それが明確に言葉にできないから、胸をはって自分の目的に据えることができないの
だ。



「幸せってなんだろう?」
そんなことから、漠然と考え始める。
思考のメモである。





幸福の中に不幸がある。
不幸の中に幸福がある。
事実をいかに捉えるか。
それによってすべては決まる。



そのように考えていけば、すべての物事は幸福であり、不幸でもあると考えられる。
例をあげよう。
最近、furu家ではフリースの布団カバーを購入した。
肌触りがよく、すごく暖かい。



寒くて寒くて布団にもぐりこむ。
すると布団は自分を暖かく包み込んでくれる。
しかし、一定の時間が過ぎた時「暖かさ」は「暑さ」へと変化することに気づく。
「暖かさ」が消えうせ、「暑さ」体を支配する。
「暑さ」を感じ、布団から這い出る。



すると心地よい「涼しさ」が自分を包む。
しかし、一定の時間が過ぎれば「涼しさ」は「寒さ」へと変化する。



布団の中の温度。
布団の外の温度に急激な変化などない。
しかし、自分の感じ方はめまぐるしく変化する。



事実は事実でしかない。
それに対する自分の感じ方、考え方がすべてを決定付けていく。
先ほどの例をあげるならこう考えられるだろう。



布団の中は「暖かさ」。布団の外には「涼しさ」という心地よさが存在している。
一方こうも考えられるだろう。
布団の中には「暑さ」。布団の外には「寒さ」という心地悪さが存在している。と。



布団の内外をすべて含めて「世界」
「暖かさ」「涼しさ」を「幸せ」
「暑さ」「寒さ」を「不幸せ」
と言い換えれば、この世の本質がみえてくる。



「暖かさ」と「暑さ」が表裏一体であるように「幸せ」「不幸せ」も表裏一体なのだ。
「涼しさ」と「寒さ」が表裏一体であるように「幸せ」「不幸せ」も表裏一体なのだ。



「幸せ」はふとした瞬間に「不幸せ」へとひっくり返る。
「幸せ」のみを追い求めることはできないのだ。
コインの表だけを追い求めても無駄なように、「幸せ」の裏には必ず「不幸せ」が含まれている。
大切なことは、「幸せ」「不幸せ」というコインを手に入れたことを自覚すること。
そして、常に「幸せ」の面を上へと向けておくことだろう。




「幸せ」が「不幸せ」へとひっくり返る瞬間とは?
それは幸せを「感じる」ことをやめ、幸せを「考え」始めた時。



これはどういう意味か?
「感じる」ことと「考える」ことは似て非なるものである。


感じることは今、この瞬間にしかできない。
過去・未来を感じることはできない。



「脳」は物事を「考える」場所。
「心」は物事を「感じる」場所。



心が感じた言葉にならないものが脳に送られ、思考と共に言語化される。
「幸せだなぁ」と自分自身に与えられた幸せに目を向けること。
それが幸せを「感じる」こと。
「あの頃は幸せだったな」(過去)
「もっと幸せになりたいな」(未来)
現在自分の手にある幸せ以外のものを見ようとすること。
それが「幸せ」を「考える」こと。



いまある幸せを「感じる」ことをやめ、過去未来の幸せを「考え」はじめた時、心の静寂は打ち破られる。



「考えるな。感じろ。」
この言葉は非常に興味深い言葉である。



脳で「考えた」ことではなく、心で「感じた」ことに目を向けていくこと。
それが「幸・不幸」というコインの「幸せ」の面を上へと向けておくためには必要不可欠。




「自分」という乗り物のハンドルは誰が握っているのか?
「脳」が握っているのか「心」が握っているのか?
それを注意深く観察することが大切だ。



もしも「脳」が握っているなら注意が必要になる。
脳が握っている限り、思考は「過去」「未来」へとせわしなく飛び回る。
「幸・不幸」というコインの裏表は目まぐるしく変わっていく。



「脳」はとかく意味をもちたがる。
「脳」はとかく比べたがる。
「脳」はとかく求めたがる。
しかし、それは永遠に続く負のスパイラルでもある。



まずはその負のスパイラルに気づける自分であることが大切。
それにきづいた時、「考える」ことから「感じる」ことに修正していく。
心に感じたことを大切に前へ進むこと。
それが「幸せ」になるためには大切なことなのだろう。



冒頭に戻る。
「わたしは子どもたちに『幸せ』を感じられるような人生を歩んでほしいんだ」



ここまで考えてきてこう思う。
「幸せ」というこの言葉を自分はまだ使いこなすことはできない。

何かが繋がっていくのをもう少し待つ必要がある。