情熱をもって冷静に

一年生の子どもたちは純粋だ。
彼らは自分と他人とを隔てる境界線がとても薄いのだ。
人の成功を自分のことのように喜び、人の悲しみを自分のことのように受け止める。
すべては一つ。
この感覚は自分には思い出せない・・・。
私自身がとっくに忘れ去ってしまった世界の中に生きている。



子どもたちは決して「教えられる」だけの存在ではない。
大人が忘れ去ってしまった大切なものを彼らはもっている。
大人だからこそ子どもたちに学ぶべきことはたくさんあるはずだ。
今を生きる子どもたち。
呼吸をするかのように自然に現在を生きている。
それだけで尊敬に値する。



過去にとらわれることなく、未来に恐れることなく。
ひたすら今を生きる子どもたち。
他に臆することなく、自分を恥じることなくすべてを出し切る子どもたち。



彼らは生まれながらに悟りの境地にある
悟りの境地にある彼らに自分は何を伝えられるのだろう?



子どもたちを成長させるとはどういうことなんだろう?
大人にしようと急ぐあまり、大切なことを見失ってはいないか?



私が何かを伝えることで彼らがまだ抱いている大切なものを削りとっているのではないか?
そんな畏れを抱きながら毎日が過ぎて行く。



子どもたちは毎日何かを吸収し、少しずつ伸びていく。
どんなに力んでも急激に伸ばすことはできない。
ふとそんな当たり前のことに気付く。



「自分が子どもたちを絶対に伸ばすんだ!」という情熱。
「急激には変えられない。なすべきことを淡々と行おう。」という冷静さ。
この往復の中で教師は戸惑う。
そして、この往復の中で教師は成長する。



無意味な往復のように思えるかもしれない。
しかし、その往復の中で螺旋階段を登るように力が高まっていく。
そう信じて瞬間に向き合い続けるしかない。