人生はオセロゲーム

この世を生きることは「オセロゲーム」に似ている。
事実は駒として自分のもとに続々とやってくる。
やってきた事実を白としておくか、黒としておくか?
それはすべて自分で決められる。



心の盤上に白が敷き詰められている人。
これがポジティブな人。
逆に黒が敷き詰められている人。
これがネガティブな人。
物事に善悪などはない。
淡々と起こる事実をどのように捉えるか?
すべてはそれだけなのだろう。



白が白を生み出すように、ポジティブな考え方、捉え方はポジティブな状況を生み出していく。
逆もまた同じ。
黒は黒を生み、それは果てしなく広がっていく。



人が生きている限り、この「オセロゲーム」は続く。
多くの人は自分がこのゲームに参加していることを認識することなく、自分の感情の赴くままに駒を置いていく。



「不幸は感情。幸福は意志。」



不幸は考えなくても自然に湧き上がるものだ。
不幸なことを考えてしまうのではない。
何も考えていないから、不幸なことが頭に浮かぶ。
感情の赴くままに駒を置く。
すると必然的に盤面に黒が多くなる。
不幸は感情だから。



どんな事実がやってきても、良い部分を見つけ出し、良い解釈を刻んでいく。
どんな事実も、オセロゲームのようにクルクルと白へと変えていく。
それが幸せになるためには大切なこと。



私たちの心は光の速度で変わる。
どんなに楽しくても、ちょっとした出来事で気分が沈むことがある。
逆に、どんなにつらくても、小さな出来事が自分の心を一気に明るくしてくれることもある。



心が浮いたり、沈んだり。
「そううつ」の状態が頻繁に繰り返されると人は疲れていく。
自分の心に翻弄されて、自分を自分でコントロールできなくなる。



このような心の消耗戦から抜け出すためには。
そのためには人生のオセロゲームの一手一手に目を向けてはいけない。
心の盤上すべてを見渡していくこと。それが大切なのだ。



目の前の一手にしか、目がいっていないと小さな物事に一喜一憂し始める。
白が増えれば喜び、黒が増えれば、怒り嘆く。



「素敵な人」と自分がおだてられると浮かれ舞い上がる。
「だめな人」と非難されれば、心が乱れ、落ち込む。



自分にとっていいことが起きてもおごり高ぶらず、都合の悪いことが起きても沈み込むことがない人。
このような人は心のオセロ盤の上全体を見据えている人なのだ。



彼らは知っている。
たとえ感情に流されて、黒い駒をおいたとしても、それを白へとひっくり返すことができることを。
白がいくら広がっても、たった一手で黒へとひっくり返ってしまうことがあることを。。




「あぁ。俺はなんて不幸なんだ」
そんな風になげいた経験は誰にでもあるだろう。
しかし、時が経ち、ふと思い返した時
「あのつらく悲しい経験が自分を変えたんだな」思えることもある。
その瞬間が黒いオセロを白いオセロへとひっくり返した瞬間なのだ。



生きている限り私たちのもとには数々の出来事が起こる。
何もない平凡な人生などありえない。
誰もが多かれ少なかれ苦しみを背負って生きている。



我々に出来ること。少しずつ白を増やしていくことだけだ。
どんなに暗い過去も意志の力でプラスに変えていくこと。
未来に対する恐れを抱くことなく、良い部分を見つめ、積み重ねていくこと。




過去への後悔。未来への恐れを捨てる。
過去への怒り。未来への焦りを捨てる。
「人生」という大きな視点で物事を見つつ、淡々と前向きな「いまこの瞬間」を積み重ねていく。
それだけなのだろう。




人生というオセロゲームが終わった時、心に白く広がる世界が広がっていますように。
そんなことを考えながら、いまを積み重ねていく。