見えるから見えなくなるもの。見えないからこそ見えるもの。

今年は一年生を担任させていただいている。
子どもたちはいつも本気だ。
どんなことも全力。


自分自身もかつてはそうだったのかな?
共に時間を共有していると自分が過去に置き忘れたものを思い出させてくれる。


ふと思う。
子どもたちはいつから本気を出すことを恐れるようになるのだろう?
本気を出すことをかっこ悪いと思うようになるのだろう?


常に自分中心で、全力の子どもたち。
それに対して大人は、一歩引いて、客観的に物事を見る。
そして力の加減を調節しながら生きる。
確かに大人の生き方は恥もかきにくい。失敗も少ないだろう。


成長させること。大人にしていくこと。
それを目指して語り続ける教師。
でも大人の生き方にシフトチェンジさせていくことが成長と言えるのかな?
そんなことをふと考える。
誰もがいつしか、なくしてしまうもの。
こどもたちの笑顔でそれに気づかされて胸が痛くなる。


大人と子ども。
「どちらの生き方が素晴らしいか」なんて答えはないのだろう。
でも、大切なのは「先が見えないからこそ見えるものもある」こと。
そして「先を見通しているからこそ見えなくなるものもあるという」こと。


この半年間悩み続けた違和感はここにあったんだ。
自分に見えるものが子どもたちには見えていない。
しかし、子どもたちには確かに見えているものが自分にはまったく見えていないんだ。


子どもたちの無邪気な笑顔からそんな当たり前のことに再び気づかされる。