「強制」の出口

「強制」と「自主性」
「一斉」と「協同」



一見矛盾しているものを繋げ、融合していける教師こそが「力のある教師」なのだと思う。


http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20121222


自分が常に抱き続けている目的。
それは「学び続ける」ということだ。



その目的が明確ならば、自分がとる手段はどんなものでもいいのだ。
入り口が「一斉指導」であろうと「協同」であろうと関係ない。
「強制」しようが「自主性」を重んじようが関係ないのだ。



大切なのは教師が目的という「出口」を意識できているかどうかなのだと思う。



「強制」を「自主性」に繋げていくのだ。
「一斉」を「協同」へと高めていくのだ。



握り締めて、制限して、ふたをし続ける。
「強制」から始まり「強制」で終わらせたくない。



「やってみろ!」という強制からはじまってもいい。


そのあと
「なっ?できるだろ?」
と認める。
そして
「こうするともっとのびるぞ!」
と求める。


その繰り返しの中でこどもたちには「自主性」が育っていくのだ。
これが「強制」と「自主性」の融合なのだ。
私があこがれる多くの力のある先生方はみな、これを息を吸うかのごとく、自然に行っている。


物事を点でとらえると「強制」か「自主性」かの二項対立で揺れるのだ。
物事を連続性の中でとらえはじめると、その揺れはなくなる。
そのことが真に理解できるようになって、
人のを点で見て判断しようとしなくなった。
これは自分自身の大きな成長だと思う。



目的(出口)が意識できているか?
「強制」を「自主性」に繋げていく意志を持ち続けることができているか?

常に自分に問い続けたいと思う。