「思考停止」が生み出すもの

授業中に「思考停止」の時間が多ければ多いほど、子ども達の学びは腐っていく。
「思考停止」は子ども達を学びから逃走させる。
その状態は学びへの反抗を生み出していく。



教師はクラス・学年・学校の学びの状態をしっかり見抜く必要がある。
成績はそれほど悪いわけではない。しかし関心意欲が低い。
そんな場合は注意が必要。子ども達の思考が停止している可能性が高い。




?「やりたい!」→?「やらなければならない…」
→?「やりたくない…」→?「やってられるか!」



このように学びは腐っていく。
成績は悪くはないが関心意欲は低い。
この状況は?の段階に入っていることを示している。


「学びからの逃走」は?の段階。
「学びへの反抗」は?の段階である。
子ども達によって?段階で止まる子どももいれば、?段階へ進む子もいる。




?の段階が見過ごされている。
これが見過ごされている限り教育における負の連鎖は止まらない。
?の段階を見抜けない教師達が数多くいる。
わかっていてもあきらめている教師もいる。



学校とは賢くなる場所。
思考停止の状態で日々を過ごす場所などではない。
年齢が低ければ低いほど力で抑え込める。
力で抑えられてきた子ども達は体の成長と共に自らも「学びへの反抗」という力を利用して自分の存在を叫ぶ。


「だめなものはだめだ!」確かに力で抑えることも必要だろう。
しかし抑えつける力の奥底には優しさが流れていなければならない。
力の奥底に流れているものは「怒り」ではない。



我々教師は「教育の在り方」を大きく変えていかねばならない。
子ども達の思考を解き放つにはどうあればよいか。
もちろん「日常的に」だ。教師が「繋ぐ」という名の下に縛りつけてはいないか?
子ども達の思考はフル回転しているか?


授業の軸に「教師」が据えられている以上何も変わらない。
「いかに教えるか?」から「いかに学ぶか?」へ。