教師が成長していくためには。

教師は常に孤独である。


確かに同僚はいる。
しかし教室においては常に教師自身が判断し、自己の責任において教育活動を行っていかねばならない。


「目的をもち、人と協力しながらチームとして歩む」
そんな人としての在り方を語らねばならない職業のはずなのに、一日の大半を孤独に過ごす。


「孤独ではない。職員室で悩みや相談を共有し、チームとして協力できる」というかもしれない。
しかし、いくら相談をしたとしても悩んでいる場面を共有しているわけではない。お互いが同じ時間に同じ子どもの行動を目にしたうえで言葉を交わしているわけではない。


教師が育たない理由。
それは同じ状況を見たもの同士で語りあう時間が圧倒的に足りないこと。
新任であってもベテランであっても立場は同じ。教師は一人一人切り離され、それぞれがそれぞれの判断において教育活動を行わざるをえない状況にある。



「教師自身が成長していくためには何が必要か?」
私は「同じものを見て語り合う時間を日常的に確保すること」だと思う。



大切なのは「日常的に」という所だ。授業について、子ども達について語り合う時間が圧倒的に不足している。日常には教師自身が学ぶことができる場面がたくさんあるはずだ。



「教師が孤独である」ということはつまり「教室が閉じている」ということ。
それに教師は気づいているか?
「開かれた教室」はそんなに簡単に実現できるものではないのだ。



子ども達が学び合う授業であれば、教師がお互いに子ども達の様子を見て語り合う時間が日常的に確保できる。
子ども達がそれぞれ本気になって学び、教師も本気になって学べる。
決して授業中に子ども同士、教師同士が馴れ合うわけではない。
それぞれがそれぞれの背中を見、魂を感じながら毎日が送れる。


どんなものでも「日常的」に行えなければ効果は薄い。
いかにして「日常的」にそれらを行うことができるのか?
我々は模索していかねばならない。
目先ではなく、奥の奥まで見据える。
教育の在り方を変えなければならない。
それぞれを切り離している「フレーム」を取り除く。
そんな時代が必ずくる。