まだ授業にはのせない

授業において「ICTの活用」という言葉をよく耳にする。
確かにICTの活用は子ども達の学習を大きく発展させる可能性を秘めている。しかし自分はそれを積極的に導入しようとは思えない。


なぜならば、「ICT」というのは最終的にそぎ落とされるものだと考えているから。
「ICTの活用」はあくまで手段。
「ICT」など活用しなくとも自分達でバリバリ学ぶ学習集団に成長していればこそ、活用の価値があるだろう。



正直いって自分は情報機器を授業に導入するのが好きではない。
授業は45分しかない。



「45分フルパワーで学べ。」


常に子ども達に語っている言葉。
1分という価値を子ども達に刻みたいと常に考えている。



しかしICT機器はその1分をたやすく奪う。
読み込み時間、機器のトラブルなどで時間はどんどん流れていく。


「ICTの活用」は諸刃の剣だろう。
すばらしい効果を生むこともあれば、その活用によって学びが浅いものに制限されてしまうこともある。


ICT機器がなんらかのトラブルをおこしても、教科書一本で深い、学びごたえのある学習を展開できるか?それを常に自身に問う。


ICT機器の活用のされ方は変わっていく必要がある。
「いかに教えるか?」という教師主体の考え方から、
「いかに学ぶか?」という子ども達主体の考え方へ。


実物投影機は確かに便利である。
席を立ち歩けない状況であっても皆が同じものを目にして同じことを論点にして話を進めていける。
しかし、常に使う必要があるか?自由に交流できる状況が授業にあるならば、自分で他人のメモや資料をのぞきにいったほうが早いのではないか?



子ども達を席に座らせた状況でICTを活用すれば全員に同じ情報が伝わる。
これは教師がしっかりと教えているという安心感に繋がる。
これが教師主体の考え方。
そこで一歩立ち止まって考える。
この方法で子ども達の学びは深まっているか?



ICTは子ども達の学習を一気に深める可能性を秘めている。
しかし、教師から子ども達への伝達手段として使われているうちは深まりは生まれない。
ICTは子ども達を繋げるために道具であるべき。
力のある授業。
力のある集団の上にのってこそICTは生きる。
まずは日々の授業を磨く。