覚悟

「きれいごと」「建前」と言われているものに真っ向勝負をかける。



自分が日々行っている授業の中で、子ども達にどのような力をつけているのかを明確に語ることができるか?
日々の授業と子ども達が成長していくイメージを繋げることができているか?
それがはっきりと語れるようになることが教師として始めになすべきこと。



自分の行っている実践のどこを切り取っても、自分の向かう目的へと繋げられるか?それを心に常に問う。
繋げられない時は実践がブレている時。


「自ら学び、自ら考える力」を授業の中でどのように育てているのかを明確に語ることができるか?
子ども達に主体性をもたせながらいかにして「基礎・基本」を押さえるのか?
自分の授業の中で子ども達の「個性」をどのように生かしているのか?
それらがすべて線として繋がっているか?



「この単元では自ら学び。自ら考える力をつけるためにこんな活動をした。」「この時間では基礎基本を押さえるためにこれをやった。」
「この行事において個性をいかしてこんな活動を…」
こんな声が聞こえてきそうであるがそうではない。


自分が求めているのは、
これら3つのことを毎時間、毎日毎日積み重ねていける授業だ。


年間に数単元、数時間扱った所でそのような力がつくとは到底思えない。
毎日毎日積み重ねていったとしても「その力がついた」と胸を張って言えるものではないのに。


「自ら学び、自ら考える力」をつけながら「基礎基本」も定着させ、さらに「子ども達の個性」もいかしていく授業。
1時間でこれら3つをすべて盛り込んだ授業を展開できるか?
しかも毎時間毎時間だ。
打ち上げ花火のように一度行って力尽きてしまう継続しない授業ではなく、だ。




「基礎基本」を身につけさせるために教え込んでいく。
すると「自ら学ぶ力」「個性」は授業の中から消えていく。
逆に「自ら学ぶ力」「個性」を重視すると基礎的な部分の抜けが心配になってくる。
一見矛盾しているように見えるこの3者を矛盾なく繋げていける授業とは?
学び合いにはその鍵がある。



誰もが思考停止をしている。
「そんな授業を行うのは無理」
「日常的に行うのは無理」と。
そのような現状が学習指導要領を「建前」「きれいごと」へと変えていく。
その「きれいごと」に真っ向勝負をかける。


子ども達の主体性を維持しながら、基礎基本はもちろん発展問題まで意欲的に学べる授業。
しかも子ども達がお互いに切り離されているわけではなく、互いの個性を繋ぎ合いながら考えを紡ぎ、「チーム」として学び合っていく授業。
そんな授業を毎時間継続する。これは必ず実現できる。


矛盾などしていない。
指導要領を「きれいごと」になどさせない。その覚悟があるから貫ける。
すべてを一本の線に。あとはひたすら実践を磨くだけだ。