真の「恐れ」とは?

人生のゴール地点は「死」である。


「死」というゴール地点を意識できるようになった時、「生」が見えてくる。


人は日々数々の「恐れ」を胸に抱いて生きている。
「○○になったらどうしよう」
「○○と思われたらどうしよう」…。


恐れは恐れを生み出し続け、不安を増長させていく。
しかしここで一歩立ち止まって考える。



それは本当に恐れるべき「恐れ」なのか?



自分には志がある。
その志半ばで「死」を迎えることこそが真に恐れるべき「恐れ」のはずだ。
今自分が感じている「恐れ」は本当に死に直結する「恐れ」なのか?


「死」に直結していてない恐れは「恐れ」ではない。
その恐れは見せかけの「恐れ」である。


なぜ焦るのか?
なぜ強がるのか?
なぜ卑屈になるのか?
なぜ引きずるのか?
なぜしがみつくのか?…。


すべての原因はとるに足らない恐れを自らの心が大きな「恐れ」にまで増大させていること。


即「死」に繋がること意外、恐れる必要はない。
恐れを感じるということは自分自身が昨日とは違うことに挑戦している証。
恐れを感じている自分を肯定していい。


しかし、今自分が感じている恐れの先に「死」があるか?
それは常に省みていかねばならない。
それをしていかないと恐れに身を食い尽くされる。


自分の思考というものは「じゃじゃ馬」のように厄介なものだ。
いかにそれをコントロールし、乗りこなすか?
恐れを乗りこなし、恐れと共に進んでいくしかない。



人生のゴールは「死」である。
その「死」を迎えた時自分は何を思うのか。
小さな恐れに身を食われ、後悔ばかりが残る「死」を迎えることにこそ「恐れ」を抱くべきなのだろう。