なぜ『学び合い』が崩れていく?

なぜ『学び合い』が崩れて行くのか?


「学び合い」は子どもが主体。子どもを信じて任せる。
そのように言われると、じゃあ教師は何をしてるの?
という質問をよく受けます。


『学び合い』は究極の一斉授業。
「信じて任せる」とは言っても、子ども達の学びがゴールから外れた時に
一瞬にして子ども達を「グッ!」と引き戻す力が必要なのです。



「お手伝い至上主義で行こう」(プレジデント社)
の著者である三谷宏治氏は子ども達を育てるのに
「放牧型の子育て」をすべきだとおっしゃっています。


【以下引用】
子どもを部屋から追い出し、柵付きの広い場所で放し飼いにしましょう。
もちろん子ども達は、柵があるからと、大人しく草を食み続けたりなどしません。
柵(制限)があり、自由(ヒマ)があれば、
それを必ず突破しようと試みるでしょう。
それこそが面白い(遊び)だから。
柵自体を破ろうとするかもしれませんし、柵の中の限られた資源で新しい遊びを創り出すかもしれません。
それらは創造性や発想力の訓練にもなります、同時に決定力の最高のトレーニングとなるでしょう。
【引用終わり】



三谷氏の放牧型の教育。
基本的に子ども達に任されている。
しかし遠くに柵はある。


この教育法は
教師自身の「柵」が強固で揺るがない
という前提があってこそ成り立つものなのです。


「ここまではご自由に。」しかし「ここからさきは絶対に許さない!」

そのような信念を教師がもってこそできるもの。
学び合いが崩れて行く原因は教師の柵が定ぐらついているのに
子ども達を自由の中に放り投げるから。


子ども達が柵を破ろうとした時にぶれることなく「NO!」と言えるか?
「そっちはだめだ!」とぐっと引き戻すパワーがあるか?
そして、許す所と許せない所の線引きをはっきりと持ち続けられるか?


すべては教師の腹一つ。
『学び合い』を崩さずに継続するのはかなり難しいことなのです。


崩れていく『学び合い』と子どもが成長していく『学び合い』
この違いは何か。
やはりすべては教師自身の在り方にはねかえってくるのです。