(4)良質なインプット・アウトプットとは?

大切なのは教わる(インプット)ことと、それをもとに表現・行動する(アウトプット)ことを繰り返していくこと。
これは誰もが共感してくださるのではないでしょうか?

どの先生も授業において必ず話を聴く場面も、自分の考えを表現する場面も設定しているはずです。
では、これを授業の中で淡々と繰り返してけば子どもたちは伸びるのか?
そう問われたら答えは「NO」です。
大切なのはインプットアウトプットの場を「設定する」ことではありません。
名人教師と呼ばれる方々の授業を見ると、どの方にも共通していることがあります。
それは授業の中で繰り返されるインプット・アウトプットの質が非常に良いということです。では良質のインプット、アウトプットとはどのようなものなのでしょうか?

「アウトプットを促すのが良質のインプット」
「インプットを促すのが良質のアウトプット」

名人教師と呼ばれる方々の授業を見ていると、このことがよくわかります。
「よし。聴いたことををもとに自分でやってみよう!」
このようにアウトプットを促す良質のインプット。
「ねえ。もっとうまくやるにはどうすればいいかな?教えて。」
このようにインプットを促す良質のアウトプット。
力のある教師の授業には「インプット」と「アウトプット」の往復があるのです。
どんなに雄弁に語ろう(インプットさせよう)と、子どもたちがその言葉をもとに「よしやってみよう!」(アウトプットしてみよう!)と思えなければ良質なインプットとは呼べません。
どんなに主体的に行動しよう(アウトプットしよう)とも、行動した結果をさらに高めるために、自分で調べたり誰かの話を聴いたりしよう(インプットしよう)と思えなければ、それは良質なアウトプットとは呼べないのです。
「インプットかアウトプットか?」ではありません。
この2つは対極のようでしっかりつながっているのです。

「大切なのはインプットとアウトプットとの往復である」
これに気づけば、授業を見る目が変わってきます。
「聴ける子を育てたい」 その言葉を大義名分にし、アウトプットにつながらないインプットをひたすら続けてはいませんか? 
「大切なのは自分で行動する力だ」 この言葉を大義名分にし、インプットにつながらないアウトプットをしていませんか? 
今一度考えるべきことは「一斉」か「協同」かということではなく、いかに「インプット」と「アウトプット」を往復する授業を展開していくか?ということなのです。
何度も何度も往復する。その数だけ人は成長していく。
授業においてその場をつくりだせるのは教師だけなのです。