(2)良い授業とは?

「良い授業がしたい!」
以前はそんな想いでがむしゃらに突き進んでいました。
しかし、先ほどの対話によって
「良い授業って一体どんな授業なのだろう?」
と考えるようになったのです。
はずかしながら、今まで私はそのような問いに向き合うことなく授業に臨んでいました。
自分の考える良い授業とは
「スムーズに流れる」「楽しいと思ってもらえる」「笑いがある」「わかりやすい」
という程度の認識でしかなかったのです。
自分がなぜ今まで納得のできる授業ができなかったのかがわかったような気がしました。
それは自分が目指す授業のイメージが浅はかなものでしかなかったからです。
教師として大切なことは子どもたちを成長へと導くこと。
私は子どもたちを成長へと導くことを目指していたのではなく、「失敗しないこと」を目標にしていたのかもしれません。
そんなことを考え始めてから、自分の授業に対する認識が変わり始めました。
「良い授業とはどのような授業か?」
この答えは先ほどの対話の中にありました。
良い授業とは「子どもを成長させる授業」のことです。
では子どもたちを授業で成長させていくにはどうすればいいのでしょうか?
私がはじめに考えたのは「やり方を考える」ということでした。
若い頃、書店へ行くのが日課となっていました。
教育書のコーナーへ行くとたくさんの実践が紹介されています。
「これさえやればうまくいく!」
「このやり方で子どもたちは伸びる!」
そんな本を読みあさり、
「おお。こんな方法があったのか。こうやればうまくいくのか。」
といって試します。
新しいやり方を始めると確かに子どもたちは食いつきます。
様々な実践を試していくうちに、授業がうまく流れるようになっていきました。
どんな教材を使えばいいか?
どんな言葉掛けをすればいいか?
どんな進め方をすればいいか?
このようなことを考えていくことはとても大切です。
今まで様々な教育技術・教え方・方法が体系化され、深められてきたのはそのなによりの証でしょう。
様々な方法を試していく毎日。
順調にいくかと思われましたが、それもつかのま。
だんだんと矛盾を感じ始めます。
どんなにすてきな方法を試しても、その熱は持続せず、やがて冷めていくのです。
そんな時の私の決めゼリフ。それは
「うちのクラスには合わなかったな」
すべて「やり方」のせいにしてはまた次の「やり方」へと転々とする毎日でした。
この世の中にはたくさんの「やり方」が溢れています。
しかし、どんなに素晴らしい「やり方」を利用しても、教師の自身が
「これで子どもたちを育てる!」
という明確な意志をもたなければ子どもたちは育ちません。
私の尊敬する方に阪本啓一さんという方がいます。
その方が語った言葉が私がとても好きな言葉があります。
それは
「在り方」が「やり方」を規定する
という言葉です。
まずは自分の在り方(being)をしっかりと定める。
すると、自ずとやり方(doing)は浮かび上がってくる。
というのです。
私たちはどうしても「やり方」を求めがちです。「方法」を知りたがります。
しかし、それのやり方で成功するのはその人のキャラクターや個性があるからこそです。
他人がその「やり方」のみを真似したところで、それを最大限に生かしていくことはできないでしょう。
答えは自分の中にしかない。
まずは「在り方」を徹底的に探せ。
まずは「在り方」を徹底的に磨け。
阪本さんの放つメッセージ。
まさにその通りだなと感じます。
あれこれつまみ食いするのは簡単なことです。
うまくいかなければ全て「やり方」のせいにするだけ。
「このやり方だからうまくいかなかったんだ」
自分自身の「在り方」から目をそらし教室にあれこれ持ち込んでいた自分。
当然子どもたちを成長へと導くことができませんでした。
子どもたちを成長させるために大切なこと。それは
「どんなやり方で教えるか?」
ということを教師が必死に考えることではありません。
本当に大切なことは子どもたちに「いかに学ぶか?」という問いに向き合わせていくことののです。
その問いに対する答えを考えさせることなしに、子どもたちの成長はないのです。
昨今、「協同学習」「学び合い」「アクティブラーニング」などという言葉を多く耳にします。これらは、「教師の教え方」の先にある「いかに学ぶか?」ということの大切さを意識し始めた証なのだと感じます。「いかに学ぶか?」ということを考えることなしに協同的な学びは成立しません。は子どもたちのアウトプットの量を大幅に増加させる。 それによって常にいかに学ぶかを意識させていくことで「主体性」「自分ごと」という感覚を養おうというわけです。
そのようなことをふまえて「良い授業とはどのような授業か?」という問いについて再び考えていきましょう。
先ほど私は良い授業とは「子どもが成長する授業」だと述べました。
しかし、それは教師の手のひらの上に乗せられた「成長」ではありません。
子どもたちが自ら「いかに学ぶか?」という問いに向き合い、歩み続けていく中で得られる「成長」なのでしょう。
子どもたちが主体性を発揮しながら成長し続けていける。
そんな授業こそが「良い授業」と呼べるのでないでしょうか?
(3)に続く