起立!

「起立!」



大きな声で号令をかける。しかし、誰も立たない。
きょとんとした顔で自分を見ている。



「おい・・・。ちゃんと聞いているのか?」



もう一度いう。



「起立!」



それでも誰も動かない。

も・・・もしかして?


「みんな。立ちましょう。」


スッと全員が立つ。



あぁ・・・。
話を聞いていなかったんじゃなくて、「起立」という言葉の意味がわからなかったのね・・・。



1年生担任になったばかり。4月の苦い経験。
確かにそうだな。
自分の息子や娘に「起立」なんて言葉は使わない。
わからなくて当然。


でも学校という場に立つと、それを振りかざしてしまうのです。
そんな自分に気づいた瞬間でした。
「学校」「教師」という枠に知らず知らずにはまりこんでいる自分。
それに気づかせてくれたのは、目の前の子どもたちです。
そういう意味で今年はすごく学ばされる1年だったと感じます。




1年生の子どもたちは純粋です。
彼らの会話や行動は自分に癒しをくれます。



先日、「ふふふっ」っと笑ってしまう出来事がありました。
それは音楽室で授業を終えたあとの帰り道のこと。
4人の女の子とおしゃべりをしながら帰った時の会話です。



Aちゃん
「ねえねえ。あの音楽室の絵の人知ってる?」



Bちゃんたち
「しらない〜。」



Aちゃん「あの人ベートーベンっていうんだよ」



Bちゃんたち
「へえ〜!」



Aちゃん
「あの人ね。耳の病気になっちゃって耳が聞こえなくなっちゃったんだって!」



Bちゃんたち
「ええ〜っ!!」「かわいそう〜!」



この後のCちゃんの一言が、私にとっては衝撃でした。



Cちゃん
「どんな病気なのかなぁ・・・。お耳の中、赤くなっちゃったのかなぁ・・・?」



みんな
「そうかもね〜。」




私は笑いをかみしめながら、この会話を聞いていました。
「かわいいなぁ・・・」


彼女たちにとって「耳の中が赤くなる」=「病気」なんですね。
耳が聞こえなくなるほどの難病なら、きっと耳の中は大変なことになっているんだろうな?
彼女らの想像は膨らみます。
こういう会話、癒されますね。
つっこみどころ満載の会話ですが、それが何事もなく受け入れられ会話が流れていくのです。
彼女は自分たちの体験、経験をもとに、せいいっぱい想像をふくらませて会話をしているのです。真剣に。
こういう感覚の違いにふと気づいた瞬間に出会えるのも1年生担任なんですね。



「起立」の例でも、「耳の病気」の面でも。
彼らにとっては自分の体験、経験がすべてです。
体験していないものはわからないし、経験したことの中でイメージします。
彼らは体験、経験の中で成長をしていくのです。
もし子どもたちを成長させたいと願うなら、より多くの経験、体験を積み重ねていくことが大切なのでしょう。



「なぜそんなこともできない?」
「なぜそんなことも考えられない?」


そう焦るのではなく、
そういう経験を積み重ねられるように支援していこう。
そんなことを感じた1年間でした。
スクラップ アンド ビルド。
今までの価値観をもう一度崩して、新たに築き直す時期がきたような気がします。