過去を変えていく眼
自分を含めて、人が学び続けていくためには、
「物事をプラスに捉える眼」が必要となってきます。
「物事をプラスに捉える眼」とは「自己肯定感」や「ポジティブシンキング」など、様々な言葉で言い換えられます。
目の前に起きた出来事をいかにプラスの出来事に変えていくか?
道でころんだとしても、
「ころぶなんてなんてツイてないんだ」
と考えるか、
「ころんだのに血も出なかった。ツイてるな。」
と考えるかでは、心の在り方が変わってきます。
「物事をプラスに捉える眼」をもたないと、自分の中に疑いが生まれます。
「どこまで行っても、得られるものはないのではないだろうか?」
「自分には力はないのではないのだろうか?」と。
このような疑いが全身を包んだ時、人の歩みは止まります。
学び続けるためには「物事をプラスに捉える眼」が必要不可欠だと感じます。
つらい出来事であっても、後でよくよく考えてみるとそれがきっかけで自分が成長したということもあるでしょう。
起きた出来事(過去)は捉え方、考え方によってプラスへと変えていけるのです。
http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20130511
このように考えていくと
「過去は変えられない 未来は変えられる」
という言葉に違和感を感じ始めます。
「過去は変えられる」しかし、「未来は変えられない」のではないでしょうか?
釈迦が語った言葉に「真如(タタータ)」という言葉があります。
この解釈は、
「起こることがただ起こっている。起きないことは決して起きない」
ということ。
どんなに我々が努力しても、起こることは淡々と自分のもとに起こるのです。
どんなに努力しても、それは変えられないものでしょう。
この意味で「未来は変えられない」のです。
大切なのは、すばらしいことも、つらいこともありのままに受け入れ、その出来事が過ぎ去り、過去となった時、プラスの出来事へと変えていくこと。
そのように考えていくと
「過去は変えられる 未来は変えられない」
ということとなるのです。
努力によって道を開いていくことを子どもたちに語ることも大切です。
しかし、受け入れ、肯定的な思考で流れに身をまかせていくことも大切です。
これらは車輪の両輪であり、これらの往復によって人は学び続けることができるのでしょう。
今まで、子どもたちに語ってきた言葉だけでは、足りませんでした・
日々感じていた息苦しさはここにあったのかもしれません。
子どもたちにも、自分自身にも語るべき言葉が変化してきた感覚があります。
自分の中で何かが変わり始めています。