あきらめることにします。

苦しみからいかに逃れることができるか?
誰しもそれを考える。
しかし、
「苦しみからは逃れることができない」
ということを前向きに捉えることができた時悟りが生まれる。
この「前向きに」という所が大切。
「苦しみからは逃れられない」
この言葉は誰もがネガティブな印象をもつ言葉だからだ。
この言葉を前向きに捉えることができるわけがない。とおっしゃる人もいるだろう。




「苦しみからは逃れられない」
この言葉を前向きに捉えるためには「悩みの本質」について考えていくとことが必要となってくる。
「悩み」とは実態がないものである。
「悩み」というものが存在するわけではない。
「見えない、わからない、理解できない」といった不確かなものが「悩み」という像を創りだすのである。
「悩み」とは自ら創りだす幻影のことだ。
自分自身が「見えない、わからない、理解できない」ものを探す。
わからないものを探すのだから、当然ますます迷いの渦に入り込む。
答えのない迷宮。それが「悩み」の正体なのだ。




では、その迷宮から抜け出すにはどのようにすればよいのか?
答えはシンプルだ。
その答えは「あきらめる」こと。




この「あきらめる」という言葉。
一見ネガティブな言葉に感じる。
しかし、この言葉のもつ意味も深い。



「あきらめる」=「明らかに見る」



ということ。
物事のあるがままをしっかりと見つめ、それをあるがままに受け入れる。
それが「あきらめる」ことなのだ。




悩みの大半は、あきらめられない(明らかに見ることができない)ことから生じるのだ。
「ああ、そういうものなのだ」
と地に足をつけて全体をしっかりと見つめられた時、人は力を発揮する。
自分の進むべき道が見えてくる。



「悩み」とは実態のないものである。
幻影に過ぎない。
なぜならば、それらはすべて「過去」と「未来」にしか生きられないものだからだ。
自分の悩みを分析してみるとわかる。



あんなことをしてしまった。まずいかな?(過去)
これからどうなるんだろう?(未来)



すべてが「過去」と「未来」の悩みでしかない。
目の前にある「いま・ここ」に悩みなど存在しないのだ。




常に「いま・ここ」を感じ、明らかに物事を見つめ(あきらめ)、自分のなすべきことに集中していく。
それが「悩み」という幻に惑わされないためには必要なのだと思う。




「苦しみから逃れることができない」
この言葉を前向きに捉えることは可能だ。
人の力は「あきらめた(明らかにみた)」時に生まれるものだからだ。



「なくならない」と嘆くより、「なくならない」ことを受け入れる。
すると次の手が見えてくるものなのだろう。