学級通信発掘!




なぜ自分が「書く」ことにこだわるのか。
最近教室を整理していて見つかった昔の学級通信を読んでいてそれがわかった。



教員になって初めて担任した子は中学校二年生。社会人としても教師としても未熟だった自分。
ただがむしゃらに毎日を過ごしていた。
流れていく日々。毎日を懸命に生きていれば何かが見えてくる。
そんな風に自分を納得させながら毎日を送っていた。



しかし、そのこどもたちを卒業生として送り出す間際に気づいてしまったのだ。



「自分はこの子達に何も伝えることができていない」と。



そんなことにきづいて、自分に何ができるか考えた。
しかし、自分には何もない。
貫く信念も、語るべき言葉も。
そんな自分にできることは?



クラスの良さを伝え続けること。自分にはそれしかなかった。
とにかく何かをつたえたかった。
自分が彼らと共に過ごしたという証が欲しかった。



三学期。卒業間際。
そんな中で毎日書き始めた学級通信。
手書きの学級通信だった。
はじめはペンが何度も止まった。
書きたいことがスーッと頭から逃げていった。
何度も消しゴムで消しながら書いた通信第1号。



「書く」そして「伝える」という覚悟を決めてから、日常の中で見えるものが変わった。
子どもたちの良いところを見つけた時、「これを書くぞ」と思えるようになった。
良いところを懸命に探すようになった。
「書く」「伝える」という行為は自分を変えていった。



この経験が今の実践の核になっていたのだ。



信念なんてなかった。
貫けるものなんてなかった。


書き続ける中で、伝え続ける中でそれが形になっていたのだと思う。

「書く」ことはこれからも自分の実践の核として生き続けていくだろう。