目指すべき方向が見えた

先日、幼稚園の参観日があった。
以前にもレポートしたが、私の娘が通っている幼稚園は「モンテッソーリ教育」を行っている。
主任の先生をはじめ、そこで働くすべての先生が理念を共有し、素敵な空間を創りあげている。理念が軸に定まっているからこそ、ここまで、強くまっすぐにこども達を育てていくことができるのだろう。

以前の記事
http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20130127

娘の教室に入って、すぐこの園のすごさがわかる。
それは教室を包み込む「声の質」である。
娘のクラスは40名のクラスである。
しかし、眼を閉じてこどもたちの声を聴いてみると、まったくそのように感じない。
声がしっとりとしているのだ。
大声、金切り声、馬鹿笑い・・・。そんな声は一言もきこえないのだ。
涙が出そうになった。
この声の質だ。自分はこの声の質を今まで追い求めてきたのだ。
1年生担任になって約2ヶ月。
ずっとこの声の質を追い求めてきた。
しかし、なかなか辿り着けなかった。あきらめかけた時もあった。
目の前のこどもたちは幼稚園児。しかし、この声の質をしっかりと体現している。
教室を一歩入った瞬間に勇気をもらえた気がした。
できる。やっぱり子ども達は力をもっているのだ。

この「しっとりとしたおだやかな空間」はなかなか創りあげられるものではない。
40名もの園児がなぜ、ここまでしっとりとした声の質で時間を共有できるのか?
これをしっかりと分析していきたいと感じた。


ポイントは
1、選択できること
2、ゆるくつながりあっている。
3、ひらかれていること




1、選択できること。
こどもたちは教室に入ると教室にある様々な「お仕事」から、自分で興味があるものを選んで、自分の興味が満たされるまでじっくりと取り組むことができる。
縫い取りをしている子。
おたまじゃくしの観察をしている子。
日本地図をつくっている子。
字の練習をしている子。
あみものをしている子・・・。

「これをやりなさい」ではなく、「やってみたい」が出発点なのだ。
だからこそ、集中する。夢中になれる。だから声の質が乱れない。





2、協同性があること。
この園のクラスには年少、年中、年長がまじりあっている。
いわゆる「縦割り」のクラスである。
それが素晴らしい効果を生んでいる。

自分で選び、集中して取り組む。
そのような決まりはあるが、こどもたちはゆるく繋がりあっているのだ。
年上の子が年下の子をさりげなく支えている。
また、年上の子が言葉をかけなくとも、年下の子はじっと年上の子がしているのを見ている。それによって学ぶのだ。
クラスの中はごちゃごちゃまざりあっている印象を受けるかもしれない。
しかし、その中だからこそ子どもたちは育つのだ。
前を向いて、切り離されて学んでいるわけではない。
まさに、「真似ぶ」=「学ぶ」なのだろう。






3、ひらかれていること
「おだる」
などという言葉がある。
「調子にのる」という意味である。
クラスに参観者が入ったら、子ども達のテンションはあがるものである。
しかし、このクラスは私が教室から入ろうとだれも気にしない。
他の誰が入っても同じことだ。
クラス全体。園全体が「ひらかれている」のだ。
卒園した子が小学校の振替休日の時にやってきて、自然にお仕事をしている時もあるそうだ。
「ひらかれた学校」という言葉が叫ばれて久しいが、この園のこどもたちを見ていると、これがきちんと体現されていることがわかる。
様々な人が訪れるのが場所。
繋がり合いながら、かしこくなる場所。
そんなメッセージが言葉にしなくても、こどもたちの心に日々刻まれていることを感じた。


最後に
モンテッソーリ教育」の理念。
そして、それを最大限にいかすシステム。
それにも脱帽したが、それ以上に先生方が理念を共有していることに感動した。
まさにチームである。

先生の話し声は常にささやくように、語りかける。
しかし、じっとこどもたちは聞いているのだ。
理念、システム。
これを胸に貫き、日々こどもたちに語り続ける先生方。
これがそろっていることががこの園の魅力なのだろう。


今後の自分の進むべき方向がはっきりと見えた。
本当に行ってよかった。
感謝しきれない。

今の一年生もきっとできる。
力をこめてそれが言葉にできる。
理念をいかに、今の自分の教室に取り入れていくか。
考え抜いていこうと思う。