「いつでも・どこでも・だれとでも」

「学び続ける」
これは私の心の中に核としてある考え方です。



常に子どもたちに語ってきたこと。
それは
「いつでも・どこでも・だれとでも学び続けられるあなたであってほしい」



この考え方を強く心にもつようになったのは、震災の時のことです。
3月11日。
震災が起きたあと、突然学校が閉鎖になりました。
明日も明後日もその次の日も…。
卒業の日までずっと一緒だと思っていた日常が、突然自分の前から消し飛んだのです。



学校は閉鎖。
子どもたちは避難のため、全国に散り散りに。
もしかしたら、子どもたちにもう一生会えないかもしれない。
「さようなら」も言えずに、おわかれなのか・・・。



そんな状態で強く願ったこと。
それが、
「いつでも・どこでも・だれとでも学び続けられるあなたであってほしい」
という願いです。



「震災が起きたから・・・。原発が爆発したから・・・。だれもなにもしてくれないから・・・。」
そのように消極的になって未来を閉ざしてしまうのではなく。



「震災が起きたから学べた。震災が起きたからこそ、もっと強くなりたいと思った」
と思える強さをもってほしいと願いました。



その後、学校は再開し、奇跡的にクラスは1人の転校生も出すことなく、再集合することができました。
しかし、たびたびくる余震、ひびの入った校舎の中で生活、いつまたクラスが散り散りになるかはわからなかったのです。



だから、常にこどもたちに伝えました。
「いつでも、どこでも、だれとでも強く、前向きに学び続けられるあなたでいるんだよ。」
「このクラスだから、学べた。このやり方だから学べた。ではなく、目の前にいるどんな人からも吸収して、学び続けていく力をつけるんだよ。」



この言葉は私自身も変えていきました。
「いつでも・どこでも・だれとでも学び続けなさい」
いつでも
その言葉がある限り、自分もそれをこどもたちに示し続けなければなりません。



だから、福島の教員を退職し、札幌に旅立つ決心がつきました。
いつでもどこでもだれとでも。
どんなにつらい時でも、その言葉は私を支えてくれました。




今私は幸せです。
福島にいる時に担任した子は、前向きに自分の道を進み、学び続けています。
手紙をくれる子もいます。
「志」を感じる手紙です。



昨年担任した子は、今6年生。
毎日、彼らが一生懸命成長する様子が見られます。
そして、6年生として1年生の自分のクラスの成長をともに支えてくれます。
本当に頼もしく。ありがたい。



そして、今のクラスの1年生。
毎日元気いっぱいです。
朝からすてきなあいさつ。どんな時も一生懸命に学ぶ。
大切なことを私が毎日教えられます。



震災の時は、自分の周りからこどもたちが1人残らずいなくなりました。
その時と比べると、なんと今は恵まれた状況なのでしょうか?



「学び続ける」
これはとても難しいことだと思います。
人はしばしば、思い悩み、苦しみます。



しかし、「いつでも・どこでも・だれとでも学び続ける力」は誰もがもっています。
あなたにも必ずあります。
ただ、それがうまく使いこなせていないだけなのです。
当然です。
震災後、周りにだれも子どもがいなくなった時、私だって「学び続ける力」を見失いかけましたから。



でも、一度つけた力、一度得た感覚は決して消えることはありません。
今も心の中に燃え続けています。



「学び続けられる場を自分で創りだせる。そんなあなたたちであってほしい。」
常に願っています。
大丈夫。きっと肩の力を抜いて、自然に学び続けられるようになるよ。
その力はあなたの中にありますから。



悩んでいるのは、進もうとしているから。
それもまた成長です。



「いつでも・どこでも・だれとでも学び続ける」
私だってまだまだ未熟です。
子どもも大人も同じ。
お互いに目的を胸に歩みましょうね。