何度も失敗できる=何度も挑戦できる

人が成長するために必要なもの。
それは「何度も失敗できる環境」だろう。


何度も失敗できる環境。
これを創りあげるのはすごく難しい。


人は失敗すると心の中に「恐れ」「不安」が生まれる。
それらはじわじわと心を侵食し、前進する気力を削ぎ落としていく。


たった一度の失敗がトラウマを生み、挑戦する意志を削いでいく。
そのように考えていくと



「何度も失敗できる=何度も挑戦できる」
この構図を創りあげるのはすごく難しいことが理解できるだろう。



この構図を創りあげていくために、教師は伝え続けていくことが大切なのだ。
「失敗にこそ価値がある」と。


子どもたちに必要なものは
「失敗も成長も一つと捉えることができる自分」
「失敗も成長の一つと捉えることができる周りの環境」
なのだ。



学校においてこれらを整えていくのは教師にとって大切な仕事である。
そのために我々教師が養いたいもの。それは
「物事をプラスに見る目」である。



学校における教師の一言は偉大だ。
教師の一言は子どもたちが向かうべき道を示すのだ。
これはよくもあり、悪くもある。



失敗した子に対して
「やっぱりあなたではだめね。」と教師が言う。
すると、周りの子どもたちは教師の言葉に乗る。
教師の言うことが正しいものと思い込み、それをおうむ返しするのだ。


「○○全然だめだったね。」
「○○下手だったね。」と。


教師が放った何気ない一言は、あっという間に拡散するのだ。
しかも、教師の目に見えない所で。
教師が「失敗=悪」と考え続けている限り、この負の連鎖は止まらないのだ。



しかし、教師が「失敗=成長」と捉えることができていれば、この構図は一気に変わる。
失敗した子に対して教師がこのような言葉をかけたらどうだろう。



「失敗したってことは挑戦したことの証でしょ?むしろ拍手すべきことだ。」
「失敗したと感じたなら、その後にどうするかが大切なんだ。失敗を失敗で終わらせない。それが大切なんだ。きっと次はもっとよくなるはずだよ。」



子どもたちはこの言葉を語り始める。
成功、失敗より先にある「挑戦」に目を向け始めるのだ。


日々教師が使い続けている言葉。
日々教師が示し続けている背中。
これらが最大の教育効果がある。


決して「失敗=悪」などではないのだ。
何度も何度も「失敗」出来る環境。
それは教師の言葉からはじまり、形づくられていくのだ。