「成長」の三段階

最近の子どもたちの様子を見ていて、ふと思い浮かんだことがある。
それは、「人の成長には段階がある」ということだ。


「子どもたちを成長させたい」
それは誰もが共通してもつ願いだろう。
その成長がどのように訪れ、どのような段階を経ていくのか。
今のクラスの子どもたちが教えてくれた。


これがわかると「焦り」がなくなる。
これがわかると「不安」がなくなる。


子どもたちが今どの段階にとどまっているのか。
次の段階に進むために何が必要なのかがわかってくるからだ。




「人はどのような段階を経て成長していくのか?」
私は3つの段階があると考える。



?自分の成長を感じられる
?自分の成長を認められる
?何が自分を成長させたのかを言葉にできる



「君のこれはすばらしいと思うな。そう思わない?」
こういわれた時、どのような反応を示すか。
それで?か?かは判断できる。

「うん!」
と胸を張って言える子は素敵だ。
その子は?の「自分の成長を認められる」という段階に至っているのだ。
この「自分の成長を認める」ということは簡単なように思えるかもしれないが、難しいのだ。



子どもたちは自分の成長を言葉にするのに「照れ」のようなものがあるのだ。
自分の優れていることを認めることを「恥ずかしい」と感じる子はたくさんいる。
この「成長を認めることを恥ずかしいと思う文化」を崩す所から始まるのだ。
そのためには教師が成長を認め続けることが大切なのだ。



うちのクラスの子どもたちがすばらしい所。
それは多くの子が?の段階に進んでいることだと思う。


自分の成長を感じ、それを認め、なぜ自分が成長できたのかを言葉にできるのだ。
こういう子どもたちは強い。
自己肯定感が刻まれたからこそできることなのだ。



この時、この瞬間のために自分は教師をしているのかもしれない。
最近のクラスの子どもたちはそれぐらいの成長を見せてくれている。
ありがたいことである。