灯をともす教師

私には尊敬する方がたくさんいる。
その1人に支援員の方がいる。
その方は支援員として私の教室に1学期から入ってくださっている方だ。
その方はもと校長先生。
はじめは少し緊張した。
そんな方に週に何時間も授業を共にするのだから。



しかし、一緒に過ごすうちにそんな感情は消えた。
それはなぜか。
「温かい」のである。



「これって大事だよね。」
「こどもたち、ここがすごく伸びてきたね」
「やっていることは決してまちがってないよ」
「ここは大切にしたいよね」


こういう温かい言葉を常にかけてくださるのだ。
この方は現役時代、札幌の算数研究の中心となっていたほどの方だ。


しかし、その口から
「ここがだめだ」
という言葉は決して発せられることはない。
いつも「温かい」のだ。


私はこの方との関係の中で
「理不尽に否定されない場所」の大切さを知った。
その方には素直に自分の足りない点を認めることができる。
そして様々なことを素直に聞ける。



その方と先日質問してみた。
「教師にとって必要な力とは何か?」
その方が即答されたこと。
それは「こどもの姿に火をつけられる力」



実は私はこの言葉をあまり好きではなかった。
なぜならば、「火をつける」という言葉に
イベント的に子どもたちの活動を仕組み、やる気を出させる
という意味合いを感じていたからである。



しかし、その方との会話を続けていくうちにこの自分の考えの浅さに気づかされた。
その方は続けた。
「私はこの『火をつける』は『灯をつける』の方いいのかなと思っているんだよね」



老子」にこんな一節があるそうだ。


「光あれど輝かさず」
己に知恵に光があっても、ことさら人にむかって輝かすことをしないという意味だそうだ。



ぎらぎらした光ではなく、ともすような光。
火も光も同じなのかもしれない。


なるほど。
すべて繋がった。
根底にそういうものがあるから、その方はいつも「温かい」のだ。
その方は「火」の奥の「灯」を見て子どもたちを育ててきたのだ。


「子どもの心に灯をつける」
この言葉が私の心に刻まれたのを感じた。


人に恵まれた一年だった。
感謝の日々だ。