当たり前の中に価値を見出す
私は「学び続ける子どもの会」というグループに所属しています。
坂内さんと高橋さんと私で立ち上げた小さなグループです。
立ち上げた当初、実践はまだ漠然としたものでした。
確かに行っている実践に底知れぬ可能性は感じていました。
しかし、それをきちんと言語化することが難しい状況でした。
そんな状況なぜこのグループを立ち上げたのか?
それは「立ち上げる」という行動によって、実践が明確になっていき、自信が生まれていくだろう。
と考えていたからです。
坂内さんや高橋さんが先駆者として様々な実践を行ってきました。
彼らが一つ一つ積み重ねてきたもの。
それをグループを立ち上げるという行動を通して一つに繋げていきたい。
そう考えました。
一人あれこれと悩んで思いを巡らしているよりも、思い切って行動に移してみる。
これはやはり大切なことです。
立ち上げてあれこれと議論を続けていくうちに、自分たちの実践の全体像が見えてきました。
坂内さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20130209
現在「学び続ける子どもの会」のメンバーは13名です。
20代の若者から、私のような30代、そして40代の方々が幅広く意見を交わしあえっています。
特に素敵だなと思うのは
20代の先生が、まっすぐに議論をしている姿です。
荒削りなものが議論を通してどんどん洗練されていく。
そういうものを目の当たりにすると、若い方々のあふれる力を感じます。
協同学習を展開してきた方々が集っているからこそ、このように互いに繋がり合いながら学んでいけるのでしょう。
さて、我々の行っている実践。
「織り重ねる学び」
先日、坂内さんと話した時こんなことが話題に上がりました。
「この実践は引っかかりが少なすぎて、逆にインパクトが薄い」
なるほど、その通りです。
なぜならば、この実践では、すべての教科、すべての学びが何の矛盾もなく融合されていくからです。
矛盾なく自然に繋がっていることを「すごい」と感じられる人はほんのわずかです。
これが理解できる人は、学びの本質が見抜ける人なのだと思います。
我々が呼吸していること。
我々の心臓が動き続けていること。
このすごさに目を向けている人はどのぐらいいるでしょうか?
おそらく大半の人は、あまりにも当たり前過ぎて、普段は何も感じていないのではないでしょうか?
(もちろん私もその1人です。)
矛盾なく、自動的に繋がり続けるもの。
人はこういうものに目を向けることになく通り過ぎていく傾向があります。
当たり前のように、自然に行われているもの。
矛盾なく繋がるもの。
その中にある価値に気づける人は本物なのだと思います。
勘違いしてほしくないので書きます。
これはこの実践の価値を見極められない人を責めたり、卑下したりしているわけではありません。
おそらく、そういう人が「普通」なのだと思います。
私が言いたいのは、
「おおよその人がその価値に気づけない」ということを受け入れたうえで、自分なりに前に進むことの大切だということ。
そして、それでもなお、理解していただけるためにどうあるべきかを考え続けることが大切だということ。です。
他の人を切らない。
他の人を大切にする。
しかし、自分の在り方はぶらさない。
受け入れる、しかし、芯の部分は揺るがない。
やわらかくしなやかに。
そんな自分のであろうと思います。
この数ヶ月で自分が劇的に変化していくのを感じます。
どんな出来事も学びに変えていける。
それが当たり前の自分になります。