「思考」を「行動」に繋げる自己であろう

今日の朝、ふと考え方こと。


それは「思考停止」という言葉ではなく
「行動停止」という言葉のほうが適切なのではないか?
という問い。



人間は常に思考している。
思考の中に生きる生き物だ。



こんな話を聞いた。


不幸は「感情」
不幸なことを考えてしまうから不幸になるのではない。
何も考えないから不幸な感情がわきあがってくる。
人間はそういうふうにできている。


幸せは「意志」
幸せは勝手に湧き起こってきたりはしない。
自分の意志で幸せをかみしめることで、幸せという感情は手に入れることができる。



思考停止。
何も考えずに「無」の状態。
自分はそんな状態にあることはほぼない。


私は常に思考している。
良い思考も、悪い思考も。
すべてひっくるめて、常に思考を続けている。


では何が止まっているのか?
それは「行動」なのではないか?


朝布団の中で考える。
「はやくおきたいな。」
「でももっとねていたいな。」
「どうしようかな。」…


常に思考している。
でも、何一つ現状は変わっていない。
この自分は
「思考停止」はしていない。
しかしこれは「行動停止」に陥っている状態なのだろう。



知識は、行動によって知恵へと変わる。



自分が大切にしたいのは、思考から生まれる行動なのだろう。
「行動停止」に陥らない。
常に思考を行動に結び付けていける。
そんな人であろう。
そんなことを思った。