主体性とは??

さて、前回は私のヒストリーをもとに(笑)主体性の重要性について語ってまいりました。

今回は前回の話の続き。
「じゃあ、主体性ってどうやって測るの?」
という話です。


私は今、協同学習を展開しています。
でも「協同学習至上主義」ではありません。
実は「協同学習」でも「一斉指導」でも子ども達をよりよく成長させられるならばどんな授業でもいいのです。


「継続性・主体性・連続性」が貫かれているなら、どんなものでも素晴らしい実践だと思います。
今の所、それらをすべて貫く実践は協同学習を主体にしないと実現しないので、今のスタイルをとっている。ただそれだけです。



話を本筋に戻しますね。
授業における主体性の測り方です。


そもそも主体性を高めるというのはどういうことなんでしょうね?
それをわかりやすく解説していきましょう!(キリッ!)

「主体性が高まる」ということ。それは「子ども達が学びの主人公」になる!
ということです。

では、どのような状況が「学びの主人公」になっている状態というのでしょうか?
よく出てくるのが


「子ども達が生き生きと学んで〜」
とか
「子ども達が伸び伸びと学びを〜」
とか
「子ども達の目が輝いていて〜」
なんて言葉です。


おいおい。それってすごくあいまいでないかい?(笑)
そう思いませんか?


何をもって「生き生きと」なの?
何をもって「伸び伸びと」なの?
どんな状態が「目が輝いている状態」なの?(ピカ〜ン!!)

これがきちんと説明できれば、「主体的だ!!」と言えるんですけどね(苦笑)

実は私もこの「生き生きと」とか「伸び伸びと」とか言う言葉に振り回されていた時期があったんです。

でもそれで手痛い思いをしたんですよね。

あれは中学校に勤めていた時のことでした。
国語教師だった私は、すべてのクラスの国語を教えていたんです。

小学校で自分のクラスを育てぬくのも楽しいですが、全部のクラスを教えるってのも楽しいんです。
それぞれのクラスで全然雰囲気がちがうんですよね。

あるクラスはすごく前向きで、反応も良いクラスでした。いつも笑顔でみんな生き生きと発言しているんです。仮にA組としますね。

「生き生き・伸び伸び度」で言えばSランクです。(目は常にピカ〜ン!)

しかし・・・
隣のクラスは反応が薄くて、積極性が少し低め。
どよ〜ん。とした雰囲気が漂っているんです。
「生き生き・伸び伸び度」でいったらCランクですかね。
仮にB組とします。



「生き生き・伸び伸び度」で見ればA組はピカイチなんです!
もうどの先生も
「A組で研究授業をしたいわ!!」
っていうくらいなんです。


でも…
なぜだろう?なぜなんだろう?


テストの結果になるとだんぜん「B組」の方がいいんです!!?

B組は「どよ〜ん」としているのですが、教えたことがしっかりと頭に入っているんです。
A組の授業は楽しいのです。すごく楽しいのです。
しかし。指導したことが上滑りしているのです。
脳に刻まれていないのです。

私の教え方の未熟さもあったのでしょう。
しかし、そこで私が得た経験は

「子どもの姿だけで物事を見るのは危険だ」ということ。

もちろん「姿」も大切ですよ。
しかし、そこに「学びの深まり」があるか否かがきちんと理解できていないと、子ども達に「主体性」が育っているかどうかは測れないと思うのです。

勘違いしてもらいたくないから、再度書きますね。

「生き生きと」とか「伸び伸びと」という言葉が悪いと言っているわけではありませんよ。
ただ、教師であるならばそれらを明確に判断できる基準をもちたい!
というわけでございます。

ずいぶん遠回りしましたが、始めの問いに戻りますね。

「主体性の測り方」
どのような状態が「子どもが学びの主人公になっている状態」と言えるのか?

でしたよね。


私はこれを「アウトプット」している時間と考えます。

アウトプットしている時間ってどういうこと?
と思われた方。

少々お待ちを(笑)
今日は息切れなので次回説明していきたいと思います。