「書く」ことは一石三鳥!

昨年の暮れ、教育課程研究会という会に参加させていただきました。
その時の講演である方がこんな実践を話されていました。





子ども達の聴く姿勢を鍛えるには「書かせる」といいですよ。
例えば、全校朝会での校長先生の話。
これを教室に帰ってから書かせるんですよ。すると、子ども達は朝会で校長先生の話を聴く態度が変わるんです。
そして、不思議なことに教えてもいないのに、話し方が変わってくるんです。
たとえば、「僕の言いたいことは3つあります。はじめに〜・・・」などという話し方が自然に身についてきたんですって。
でもね。子ども達に書かせても、みんながうまく書けない時があるんですって。
それはね、「校長先生の話し方がわかりにくかった時」なんです(笑)
うまく伝わらなかった時は校長先生の話し方にも問題があるみたいですよ。
子ども達が書いたものをもとに校長先生と交流してみるのも素敵かもしれませんね。





この実践をされている方がどこの方なのかはわかりません。
しかし「さすがだなぁ。」と感じました。

この実践をされている方も我々と同じ「書く」(言語化する)という活動を通して様々なことを考える目を養おうとされているのでしょう。

上の話からもわかるように、「書く」(言語化する)という行為には3つの長所があります。

1つ目。
子ども達に「聴く姿勢」が身についていく

上の話では子ども達の「聴く」姿勢が変わりましたね。
「書く」という明確な目標があるので、「聴く」のです。
主体性をもって…なんてよく言われますが、主体性がある人は基本的に自分で「目的」「目標」を設定するのがうまい人です。しかし、それらを心にもつことが実は一番難しい。
そこで「書く」という明確な目標を子ども達に提示するのです。
その目標に向かうためには「聴く」という行為が大切になってきますよね。
「ちゃんと聴け!」ではなく、「書くためには聴くことが大事」というように
聴くことが「手段」となっていくのです。

2つ目。聴いたことが自然とインプットされていく。

上の話では、子ども達が自然に校長先生の論の運び方をまねし始めていました。
そうです。まさに「学ぶ」=「真似ぶ」ですね。
我々は脳で思考することで学ぶ(インプット)ことよりも自ら行動する(アウトプット)することで成長することの方が大きいのです。
いくらサッカーの本を読んでも、実際に練習しなければ上手くならないのと同じです。
何度も何度も繰り返していくうちに、それが自然につかいこなせるようになっていくわけです。
子ども達が本気で「聴く」経験が様々なものが子ども達に吸収されていきます。
話すスピード。表情。論の運び方。自分の考えへの繋げ方…
子ども達に自然に刻まれていくのです。


3つ目。評価として、授業者に跳ね返ってくる。

上の話では、子ども達が書けなくなる時は「校長先生の話し方」に問題がある。と言っていました。
そうなんですよね。言葉というものは消えてしまうものなんです。
話し手がうまく話せたか、言いたいことが伝わっているかを評価することは難しいのです。
一生懸命話したから「伝わっているつもり」でいたら、全然伝わっていなかった。そんな話は山ほどありますよね。私もそんな経験ありです(笑)
その「伝えたつもり」を厳しく評価してくれるのが、子ども達です。
子ども達の書いたものをみれば、話し手の足りない部分が浮かび上がってきます。


まとめます。
「書く」という行為には素晴らしい可能性が秘められている。
?「聴く」姿勢が身につく
?良い所が自然にインプットされていく
?授業者の評価となる


ということは…
これを日々の授業に組み込んでいけば子ども達の力がメキメキとついていくのでは?
その仮定で実践されているのが我々の「織り重ねる学び」です。
では、それを授業にどのように落とし込んでいくのか?



それは次回です!