「狭く・濃く」を目指す

我々の会の強みは学びが形になること。
そしてそれが積み重なっていくことです。
話し合いをして、なんとなく終わってしまうような授業では子ども達の力を伸ばしきれません。本当に自分がわかっているのか?自分は何がわかっていないのか?それらを、書くことによってあぶりだしていくのです。



子ども達を信じて任せる。
これは大切なことです。
しかし、任せることとほったらかしにすることは全く違うのです。


教えるべきことはきちんと教える。
任せるべき場所は任せる。
しかし、学びの姿勢にほころびが見えたら、即授業をストップさせ、学びを修正していく。
そんな力が教師には必要なのです。



一般的にいう「誰でもできる」などという敷居の低い実践ではありません。
「広く・薄く」という実践では子ども達の力を伸ばしきれないのです。



我々が目指すのは「狭く・濃く」です。
学び続ける子ども達を育てるために必要なもの。
その核以外をすべて削ぎ落とし(狭く)
それらを磨き、深めていく(濃く)のです。




ではいかに「狭く・濃く」していくのか?
昨年まではおぼろげにしか見えなかったことが、坂内さんと何度も何度も対話を重ねていくうちに、浮かび上がってきました。



一つ目。いかに「狭く」していくか?
これはいかに必要なものだけを取り出していくか?
いかに削ぎ落としていくか?という問いに繋がってきます。
子ども達の思考を深めていくために必要不可欠なことはなんなのか?
坂内さんが行ってきたレポート作成。そして私が行ってきた原稿用紙へのまとめ。
それらが繋がった時答えが見えてきました。



そこでわかってきたことは、
すべての思考は「書く」という行為に繋がることによってさらに強みを増す。
ということです。



自分の考えを話す・人の話を聴く・テキストを読む…
これらの行為で本当に自分自身がわかっているかどうかを判断するのは難しいのです。
このことは高橋さんがとてもわかりやすくブログにまとめてくださいました。

http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/nao_taka/20121203/1354538361



「わかったつもり」をあぶりだす。そのためには学びを残る形にしていくことが必要不可欠なのです。
学びを可視化し、それらをもとに常に己の学び方が良いか甘いかをフィードバックしていくことが必要となってくるのです。



「きちんと学ぶ」から「書ける」という価値観は今までも数多くありました。
だから、いかにわからせるか?いかに教えるか?という議論が盛んに行われてきたのでしょう。


しかし、我々のアプローチは全く逆です。それは
「書く」ことによって「学ぶ」ということ。
「話す」「聴く」「読む」というすべての学びを「書く」という行為の上にのせていくのです。
我々の実践は「書く」という行為にすべてをのせることで、あらゆるものを削ぎ落とします。「書く」という行為がすべてに繋がっていくのです。
「書く」という行為を通して思考を深めていく。
それが我々の「狭く」という戦略です。



では次に「濃く」ということについてです。
「書く」という行為をいかにして、磨き深めていくか?
ただ書かせていただけでは、子ども達の学びは深まっていきません。
ではどうすればよいのでしょうか?


子ども達を成長させるために必要なこと。
それは
「何度も何度も形を変えて繰り返す」ということです。
この「形を変えて」という部分がキーワードとなります。



例えば国語。
説明文の単元ではよく、問いの文のはたらきや段落の関係。そして要旨などの読み取りを行います。しかし、その学んだことをもとに自分で説明文を書く場面はあるでしょうか??


例えば算数。
割合や百分率の単元では、教科書に載っているグラフをもとに問題を解いていきます。しかし、実際に社会の教科書に載っているようなグラフを用いて、それを読み解くような場面はあるでしょうか?



「その実践ならやっているよ。」「その実践ならやったことがあるよ。」
そういう方もいるでしょう。しかしそういう方に再度聞きたいのです。
それらを年間10回以上繰りかえすことは可能ですか?と。



単発では誰もができます。しかし、子ども達を伸ばしていくために必要なことは「何度も何度も形を変えて繰り返す」ことです。
数回やっただけでは子ども達を伸ばしきることはできないでしょう。
この繰り返しを日常にしていくこと。これが我々の実践では可能になってくるのです。



いかにして「形を変えて繰り返す」のか?
簡単に言うと私のやっていることは「書き換え」です。
学ぶべき内容を何度も何度も書き換えていくのです。



教科書の問いをもとに、教科書の内容を学びます。そして、その学びをレポート(白紙)へと「書き換え」ます。
教科書に書いてあることはもちろん、話し合いの中で得た知識や自分の疑問、自分の考えなどがレポートへとまとめられていきます。これが一回目の「書き換え」です。
もちろん本当に理解できていなければ、「書き換え」をする手が止まります。それが自分の学びへの評価として即フィードバックしてくるのです。
教科書に載っている学ぶべき内容をすべて「書き換え」たならば、二回目の書き換えへと入ります。
二回目の「書き換え」とは何か?
それは説明文への「書き換え」です。
学んだことを再度、説明文にまとめて、説明し直すことでさらに学びを深めていくのです。
この一ヶ月間で子ども達は説明文を5本は書いています。
国語で学んだことを社会、理科での学びに繋げ、何度も何度も繰り返します。
教科書という文字情報を白紙のレポートへと構造化します。
その構造化されたものを再度、説明文という文字情報へと「書き換え」ていくのです。
まさにこれこそが「形を変えて何度も何度も繰り返す」ということなのです。



普通の教室でこれを行ったならば、時数が足りなくなります。
そして、確実に教室はパンクします。
この実践を矛盾なく行うには、家庭での学び、学校での学びが繋がっていかねばなりません。そして、子ども達自身に「自ら学び続ける」姿勢が刻まれていなければなりません。だから、坂内さんはおっしゃいました。
「この実践をつまみ食いするのは『毒』となる」と。

http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20121103


我々は誰にでもできる方法は目指しません。
「広く・薄く」では、この教育の世界を変えていくのは難しいでしょう。
徹底的に磨く「職人集団」をつくりあげます。
挑戦はまだ始まったばかりです。