復習→予習→学校での学び→復習→予習…

学校での学びと家庭での学びをいかに繋げていくか?
これは多くの教師の頭を悩ませている問題だろう。
学校だけでなく家庭においても学びに向き合ってほしい。
そんな願いが教師の胸には常にある。


しかし、子ども達は家庭ではなかなか学びに向かおうとはしない。
「勉強」=「つらいもの」「つまらないもの」「やりたくないもの」
という構図がある以上。それは当然のことである。



では、いかにして子ども達に家庭学習に取り組ませていくか。
「書く」という活動を主体とする活動に取り組むうちにそれが見えてきた。
キーワードはもちろん。「融合」である。



子ども達がなぜ家庭学習に取り組まないのか?
それは、「学校での学び」と「家庭での学び」が分断されているものだからである。
いくら漢字を書いてきても、それが授業の内容に直接繋がるわけではないのだ。
算数の計算問題にしてもそうだ。
授業で答え合わせをしたとしても、それは理解の確かめでしかない。
答え合わせが終わったらそれで終わり。
それをもとに授業が進むことはごくまれであろう。



授業と家庭での学びが分断されていれば子ども達の意欲は落ちていく。
主体的な学びから、やらされる学びへと変化していくのだ。



ではどうするか?
簡単なことである。授業と家庭学習を繋げてしまえばよいのだ。
よく聞く言葉でいえば「予習」である。
子ども達に常に話していること。それは
「授業が始まった瞬間にスタートダッシュがかけられるようにしておけ」ということ。
そのために「予習で何がわからないのかをわかるようにしておく」と常に話している。


詳しくは
http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20120414


始まった瞬間に授業の核心に斬り込む。
この感覚が子ども達の心に刻まれれば授業は倍速で進んでいく。
予習をして準備をしてきたものは、充実した学びの時間を得ることができる。
よって最後の15分アウトプットも充実したものとなる。


http://manabitudukeru.g.hatena.ne.jp/furu-t/20120419


反対に予習をしてこなかったものは、その準備の甘さを肌で体感することとなる。
そして当然再度の15分は甘く、「らしくない」まとめとなっていくのだ。
それを毎日毎日繰り返すことで、子ども達の心に「予習」をすることの大切さが刻まれていくのだ。



というわけで、4月から徹底的に「予習」をすることの大切さを説き、その価値を子ども達に刻み込んできた。
しかし、最近の学びから「予習」以外にもう一つのキーワードが浮かび上がってきた。
それは何か?



それは「復習」である。
「なんだ。そんなことか。」と思われた方もいるだろう。
しかし、自分のクラスの復習は授業と直接リンクしている。



簡単に言えば、「残りをやってこい」である。
国語も、算数も、理科も、社会も、その他の教科も最後に必ず15分アウトプットを行っている。
最近子ども達の書く力が伸びてきている。それにつれて表れてきた現象。それは「15分では足りない」という現象である。
ボーっとしていて足りなくなるのではない。思いっきり止まらずに書いていても15分では足りないのだ。



これは子ども達の学びが深まっている証拠である。
書きたいこと、深めたいこと。それがたくさんありすぎて15分では到底追いつかないのだ。



そこで出る言葉が「家でやっておいで」である。
子ども達は学校での15分で家庭学習への橋渡しができている。
学校での15分という縛りがない状態で楽しみながらまとめを行うことができるのだ。
「今日の復習は何をやろうかな~。」などという状況から始まるのではない。
やるべきことが明確であり、学校での学びと直接リンクしているのだ。



「予習」「学校での学び」「復習」
これらがすべて融合していく。それがこの「学び続ける子どもの会」の学びの核である。
生半可な決意なしにこの融合は起こらない。
さて、この融合が起きつつあるわがクラス。
どこまで伸ばせるか。どこまで磨けるか?すべては自分次第である。
襟を正す。