二兎追うものは一兎をも得ず

2つ以上のことを並行して行えるようになりたい。
自分は常にそう考えてきた。
しかし、それはかなり難しいことだ。



朝、子ども達が数名寄ってくる。
提出物を出す子、体調不良を訴える子、質問にくる子…。
子ども達の声に耳を傾けながら、目は学級全体を追っている。



しかし、目と耳を同時に動かしていると、どちらかの情報が甘くなる。
目が教室の気になる子をとらえると、子ども達の話が聞こえなくなる。
そのため、「ん?ごめん。もう1回言って?」
なんて聞き返すことになる。
逆に子どもの話に入り込むと、教室が見えなくなる。
教室のちょっとした変化を簡単に見逃す。



どうすれば2つの物事を同時に、完璧にとらえることができるのか?
いつもそう考えてきた。



しかし、最近気づいたことがある。
それは今の自分には無理だ。ということ。
いや、むしろ2つの感覚を同時に完璧にあやつること自体に無理があるのではないか。



「二兎追うものは一兎をも得ず。」
どっちも磨こうとして結局中途半端になっていたことに気づく。



そんなことを考えてから、子ども達の話を聞く時に聞き方を変えるようになった。
片方の情報を削ぎ落とすのである。
子ども達の話を聞く時は目をつむる。
そして自分の耳を子ども達の口の方へそっと向ける。


すると、不思議なことに子ども達の一言一言がすっと沁みこんでいる。
何人に取り囲まれても焦ることはない。
順番に1人ずつ聞いていくだけ。あわてず、真剣に耳を傾けることができる。



「聞く」ではなく「聴く」へ。
言葉ではわかっていたが、それがどういうことなのか、具体的にはわかっていなかった。
しかし、視覚情報を削ぎ落としたことによって、それが見えてきた。
こんな経験を通して、「聴く」という姿勢が自分に刻まれていくのだろう。
何かを削ぎ落とす。
その経験が人を成長させていく。



授業の時も同じだ。
子ども達が学び合っている。
子ども達の話を聴こう、聴こうと思っていても、つい視線は気になる子へ。
当然気になる子へ目線がいっている時は、子ども達の話し声は上の空になる。


思い切って視覚を削ぎ落とす。
目をつむって耳に手を当て、生き生きと話している声を探す。
するといろんな声が聞こえてくる。


わかったことを伝えたい高揚感。
課題をつかみとれない戸惑い。
何かをつかみかけているひらめき。


目では見えなかったものが飛び込んでくる。
その声を辿っていくから「なぜ?」と斬り込めるのだ。



「聞く」のではなく「聴く」
「見る」のではなく「看る」
そんな経験を積み重ねていくうち、それが自然とできるようになってきた。
削ぎ落とすことで見えてくるものがある。




さて、前置きが長くなったが、ここからが本当に書きたかった内容。
2つ同時に習得すると、どちらもあいまいになる。
思い切って削ぎ落とすことで道は開ける。
そんな経験から、自分の授業では2つのことを同時に行うことは極力避けている。
学びが育ってくれば同時にやることも可能になってくる。
しかし、初めからそれを行うとどっちも中途半端になってしまう。



具体的にいうと、「話す」「書く」を明確にわけている。ということ。
レポートやまとめを書かせながら話し合いをさせることは決してしない。
「今は徹底的に話す時間」
「話し合ったことを徹底的にまとめる時間」
そのように活動を明確にわける。


もちろん話し合いながらメモをとる程度は許容している。
しかし、話し合うべき時間にどっぷりと書くことに集中させることはしない。
まとめの時間に鉛筆が止まらなくなるぐらい、情報を集め、深めさせるのだ。



そんな経験を繰り返していくうちに「話す」ことと「書く」ことは自然と融合されていく。


話しながら書く。書きながら話す。
それは子ども達の心に徹底的に話すこと、徹底的に書くこととはどういうことなのかが刻まれてからの話だ。



だらだら話をさせても学びは深まらない。
だらだらと書かせても深い文章は生まれない。
時間という枠組みのフレームがあるからこそ子ども達は伸びていく。



協同学習をすると、子ども達の「姿」が見えやすくなる。
しかし、反対に子ども達の「学び」は見えにくくなる。



いかにその見えにくくなった学びを可視化していくか?
それが「学びの証拠づくり」である。
話し合って学びを終わりにしてはいないか?
話し合いながら、なんとなくまとめさせて終わりにしてはいないか?
自分の学びをきちんと言語化できてこそ真の学びと呼べる。



「わかったつもり」をいかにあぶりだすか?
それが「看る」ということ。
全教科、前時間で学び合ってきたからこそこの大切さに気づくことができた。
削ぎ落とすと不安になる。
しかし、削ぎ落として、一つ一つ磨いていくことこそが真の成長に繋がっているのだろう。