教えずに教える。教わらずに教わる。

教える育てる。それが「教育」。
しかし、そもそも「教える」とは何か?


教えて相手が育つこともあるだろう。
あえて教えず見守ることで相手が成長することもある。
「教える」の意味はとてつもなく広く、深い。


教えるべきことはしっかりと教える。
学び合いをしていても自分が常に考えていることだ。
しかし、同時にいつまでも「教える」にとどまっていてはいけないとも考えている。
「教える」という行為も削ぎ落としていける。
これは前のクラスの子ども達が教えてくれた。


言葉にせずとも、同じ価値観を共有し、お互いを尊重しあいながら進んでいける。
言葉にせずともお互いにが学び、成長していける。
そんな関係は必ず築ける。


教えずに教える。
教わらずに教わる。
ここまでお互いの関係を磨けるか?


そこに至るためには自分が何を大切にしたいのかという「核」を定めたいと常に考えている。
何度も何度も子ども達に、そして自分自身にも語りかけたい。そんな言葉を。
何度も何度も伝え続ける「核」を定める。
どんな時も同じ言葉で何度でも。
それを繰り返すうちに言葉にせずとも伝わるようになる。


そしてふとした瞬間に気づく。
自分が何も言葉にしていないことに。
言葉にせずとも伝わっていることに。


残念ながらその瞬間が訪れた時には、彼らとの別れは目の前に迫っているのだろう。