奥底に流れているものを抽出する

坂内(tontan)先生の記事を読んで自分も思う所があったので…。



以前教師には「捨てる力」「削ぎ落とす力」が必要だ。と書いた。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/furu-t/?word=%2A%5B%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%8A%9B%5D



「テクニック」は手段にしか過ぎない。
「テクニック」を使いこなすことが目的になっていくと、自分の実践は停滞していく。


「テクニック」を学ぶことは大切。
しかし「テクニック」の奥底にはそれを導き出した者の「心の在り方」「理念」が流れている。
その奥底に流れるものにまで目を向けながら「テクニック」を学ぶのと、ただ表面的に「テクニック」を使いこなすのでは、同じ言葉でも重みが違ってくる。
「テクニック」を学ぶ目的は、その奥底に流れている「在り方」「理念」を抽出していくということ。
それらを凝縮し、自分の理念に重ね合わせていくということだろう。



形だけ追った自分の20代。
あの時の失敗からこれは自信をもって言える。
形だけ追っても何も生まれない。
その形の奥底にある何かに目を向ける覚悟があるか?
それがないと、「策に溺れる」ことになる。



坂内(tontan)先生と放課後常に話していたこと。それは、
「あれは本当に必要なことなのか?」ということ。



あの方法、テクニックの奥底に流れる理念はおそらく〇〇ということだろう。
その理念は私達のやり方の中にも流れている。
ならば、あのやり方でやらなくても同じ目的には辿り着けるはずだよね。
でも、あのやり方は〇〇という面で効果的かもしれない。
そこさえぶれなければ、やってみる価値があるかもしれないね。…


こんな会話をくり返してきた。



すべての実践において、その奥底に流れるものを見つめてきた。
そんなことをくり返していくと、ある日気づくことになる。

突き抜けている方々の実践の奥底に流れているものは、ほとんどが同じものだといことに。


使っている「テクニック」は違うがみな同じものを見ているのだ。
それがわかれば、いろいろなことを真似をする必要がなくなってくる。
「削ぎ落とす」というのはこういうことなのだろう。


子ども達にたった一つしか伝えられないとしたら。
あなたは何を伝えますか?

あれもこれもはない。
この一つだけ。
それ見つけ出す。それが「削ぎ落とす」ということ。