続けられない授業は無意味

自分が研究授業をする際に常にこだわっていること。
それは


「研究授業でなくても、その授業を続けられるか、否か。」
ということ。



黒板に貼られた掲示
工夫されたワークシート。
磨き抜かれた指導案…。



確かに素晴らしい授業はつくれるかもしれない。
しかし、そのような授業を毎時間行うことができるのか?

その前後一時間はの学びは?
単元を通した学びは?
一年を通した学びは?
研究授業以外の他教科の授業は??




見栄えの良い授業は簡単につくれる。
しかしその準備は毎時間継続できるか?
どんなに素晴らしい授業であっても、継続できない実践には意味はないだろう。


その授業の「軸」はどこにある?
研究授業の時だけせっせと準備をする。
そんな教師の姿を見て子ども達は何を思うのか?
子ども達は教師の腹を簡単に見抜く。



研究授業であろうがなかろうが。
人が見ていようがなかろうが。
いつでも、どこでも、誰が相手でも
ブレずに同じことを語り、己の実践を貫けるか?


そこにこだわる。


じっくり考え、考え抜いて授業を行うことはもちろん大切。
しかし、一番大切なのは日々の授業だ。


「続かない」ということは「積み重ならない」ということ。
日々の授業に繋がらない打ち上げ花火のような授業に魅力はない。


ブレずにまっすぐ貫けるか。
研究授業なんて「手段」に過ぎない。