「憧れ」が繋がり合う

娘の通う幼稚園はモンテッソーリ教育を行っている。
「素敵だなぁ」と思うのはクラスが縦割りになっていて
「年少」も「年中」も「年長」も同じ教室で学ぶということ。
園には「お仕事」の時間が設けられていて、毎日自分のやりたいことを徹底的に学ぶことができる。
異年齢の子ども達が、同じ空間で自分のやりたいことにじっと取り組む。
一人で取り組んでいるように見えるが、子ども達は常に周りの子ども達をじっと観察し、自分なりに工夫しながら活動しているのだ。



娘は「年少」
常に年上の子どもの様子を見て、学んでいる。
自分より少し年上のお兄さん、お姉さん。
憧れが彼女をどんどん成長させている。


家での出来事。
「パパ。『す』ってどう書くの?」
娘が聞いてきた。


「んっ?」と娘の方に目を向けると娘は紙に何かを必死で書いている様子。
紙を覗き込むとそこには…


(妻の名前)(弟の名前)パパ だい きだよ



と書かれている。

どうやらだい「す」きと書きたかった様子。
文字を読めるのは知っていたが、いつから書けるようになったのだろう。
おどろいた。




食事での出来事。
今までは「エジソンのおはし」という補助ようのはしを使って食べていた娘。


最近「わたしお姉さんのおはしで食べれるよ!」と言い出した。


「まさか普通のはしでは食べれないよな〜。」
と思いながら手渡す。
すると、なんとも上手に使いこなしている。おどろいた。
(ちなみに自分は中学生まではしの使い方がまちがっていた。)




そして何よりも素敵だなと思えるのは
「弟に対していつも優しい」ということだ。


朝食のパンにマーガリンをぬってあげる。
くつをはかせてあげる。
お着替えを手伝ってあげる。
手を繋いで歩く…。
常に優しく言葉をかけている。



娘のこの成長は確実に幼稚園での経験が大きく影響している。
常に自分より少し年上の子ども達の様子をじっと見ているのだ。
憧れは子ども達を成長させる。
子ども達は常に自分の可能性を信じている。
「こうなりたい!」「こうしたい!」
異学年が共に学ぶということは、この憧れが繋がり合うということ。



こんな言葉がある。
「子どもは、自分ができることよりちょっと難しいことをやりたがる。」
簡単すぎてもだめ、難しすぎてもだめ。
「ちょっと」という所が大切なのだ。



我々教師はすべての子ども達に対して常に「ちょっと」難しい課題を提示し続けれるか?それは無理だろう。


異年齢の子ども達が繋がり合うことのメリット。
それは子ども達が常に年上の子ども達から刺激を受け、
自分の力で「ちょっと難しい課題」に取り組むことができるということだろう。



ここで小学校のことを考える。
なぜ同じ年齢の子ども達のみで学級は創られるのか?
その軸は「教師の教えやすさ」にあるのではないだろうか?


「子ども達の成長」の軸があれば、教室は今のような形態である必要はないだろう。
異学年がそれぞれの憧れを胸に学ぶ教室。
これは小学校現場でも実現すべきなのではないか?


我々教師は「憧れ」を繋ぐ役割を担うべき。
教室というフレームを解体し、子ども達自身の「憧れ」をベースに教育を行う。
そんな考え方が当たり前になったら素敵だろうな。



「理論」が自分の子どもの成長と共に「実感」として刻み込まれている。
日々子どもと共に成長だ。