「教え合い」と「学び合い」

「教え合い」と「学び合い」は違う。
これは、佐藤学先生がおっしゃっていた言葉。


「教えてあげようか?」から始まるのが「教え合い」
「わからないんだ。教えてもらえる?」から始まるのが「学び合い」


「教え合い」で育った子どもは「待つ」子どもになる。
そして、その子は最終的には「恨む」子どもになる。


佐藤学先生はあまり深くそのことを語らなかった。
しかし、この感覚は心に「ズン」と響く。


「教えて」といえること。
これはすべての原点なのかもしれない。


自分の子どもを見ていて思う。
子ども達の原点は「知りたい」「できるようになりたい」「やってみたい」という思いだ。


誰もがまっすぐだったはず。
しかしそれがいつからかそれをうまく表現できなくなる。
「わからないということは恥ずかしいこと」
「おれなんて・私なんて」
「失敗したらいやだな・・・」


我々教師の役割は何か?。
それは子ども達が本来もっている「突き進む力」を捨てることなくまっすぐにもたせ続けることなのだろう。



目的は「子ども達の自立」
そのために誰もが「教えて」と言えるように成長させたい。
そのためには「教えて」と言い合える集団を創りあげる必要がある。
そのためには集団は「チーム」であるべき。
「チーム」になるためには「目的」を共有していなければならない。
子ども達が「目的」を見据え始めれば自ずと「教えて」と言い合える雰囲気が生まれる。
「教えて」から始まる授業。それが「学び合い」の授業。


結局すべては手段でしかない。
どこを入り口にしても「目的」さえぶれなければ、すべては繋がりはじめる。



「教えて」と安心して言える教室に。
このテーマは果てしなく高く。限りなく深い。
「授業」も「学級経営」もなにもかもが一つに繋がらないと成し得ないテーマだ。
これに斬り込む。
まだまだこれからだ。