『学び合い』の問題点

『学び合い』の問題点。
それは『学び合い』を成立させることができても、持続させることが難しいということ。
全国の教室で『学び合い』を実践される方々に必要とされる力は、


「学びの状態をしっかり看取る力」
「看取った上で学びを止め、語る力」だと私は考える。



『学び合い』では、学級がまとまるスピードも速いが、崩れるスピードも速い。
「学級崩壊」と『学び合い』の違いがしっかりと見とれないと危険だ。
『学び合い』をしていたつもりで「学級崩壊」への道を歩んでいた。なんてこともめずらしくない。


どんなに最初に具体的、理論的に語っても、集団は崩れていく。
だからこそ
「学びの状態をしっかり看取る力」
「看取った上で学びを止め、語る力」
が必要になってくる。


確かに、「信じて任せる」「教師は子ども達の学びを邪魔しない」
のが理想なのだろう。
しかし、それだけで『学び合い』が持続できるとは思わない。
「信じて任せる」「1人も見捨てない」だけでごり押しした結果、多くの教室の学びが崩れている。
アーリーアダプター」が崩れているのに、「アーリーマジョリティ」が食いつくわけはない。


「学びの状態をしっかり看取る力」
「看取った上で学びを止め、語る力」
確かにこれは30〜60人程度にぐらいまでしか適用できないかもしれない。
数百人レベルの集団を動かすためには適さない方法なのかもしれない。

しかし、ここで問いたい。


「30人レベルでの学びを見とれない者が、数百人レベルでの学びを見とることができるのか?」


30人という少ない人数の中にも「無限」の気づきがある。
それをきちんと見取れて初めて、数百人の学びが想像できるようになるのではないか?


アーリーアダプター」が安定的に『学び合い』ができていない、日々悩んでいる状況で未来があるとは思えない。


では我々が今すべきことは何か?
それは「徹底的に『学び合い』が崩れる原因を探り、それを共有し合うこと」だろう。
それを通して自分の授業を再度見つめ直し、クラスでの学びをより深いものに変えていくこと。それしかない。


我々が「よりまし」レベルで満足していたら、『学び合い』は徹底的につぶされるだろう。



子ども達の学びが崩れるのには必ず原因がある。
それに目を向けずに
「『学び合い』はやっぱり難しい。」
「今年のメンバーには難しかった。」
などと逃げていてはだめなのだ。
失敗をシェアし、それを徹底的に分析する。
それでしか集団は前へは進めない。



『学び合い』の運命は我々に託されている。



追伸:
私は西川先生のおっしゃっていることを否定しているわけではありません。
むしろ、本当に「信じて任せる」ことができることを夢見ています。
『学び合い』という言葉すらなくなり、皆が当たり前に繋がり合い、支えあう社会を夢見ています。
見ている方向は一緒です。
だからこそ、自分の考えははっきりと伝えねばならない。と感じています。